坂道 episode final
どこまでも続く坂道をトラクターで登りながら僕は呟いた。
「あぁまたやっちまった。」
昔から勢いだけで行動してしまうのが僕の悪い癖だ。
大学4回生のとき、僕には好きな子がいた。Z子はよく通る大きな声で笑い、まるでゆで卵のようにほがらかだった。そんなZ子に僕は一年近くアタックを重ねては、ことごとく振られ続けていた。今考えてみてもよくあれだけ押し続けたもんだと思う。しかしあのとき、どれだけ手を尽くしても、僕の想いは届かなかった。
そして大学最後の夏を前に、僕はいい加減これで決着をつけようと心に決めて、Z子に想いをぶつけた。
僕は呆気なく粉砕した。
ちょうど同級生たちは髪を揃え、紺色のスーツをあつらえて、就職活動にいそしんでいた。そんなさなか、僕の頭の中は、「北へ向かう」ことしか考えてなかった。
そう失恋した男は北へ向かうのだ。
向かうべきなのだ。
「あぁまたやっちまった。」
昔から勢いだけで行動してしまうのが僕の悪い癖だ。
僕はトラクターに取り付けた器具をフル稼動させて、刈ったばかりの牧草をかき回している。
12,000ヘクタールもある牧草地でのその作業は、いつまでたっても終わりが見えなかった。
そこは日本海沿いの小さな村。稚内から南へ100?、札幌からバスで4時間もかかり、住んでる人間の数よりも牛の数の方が多いようなところだ。冬場はなんと氷点下30℃にまで気温が下がるのだ。
大学四年の夏休みに、失恋した僕は、北海道へ傷心旅行へ向かい、そのまま牧場での住込みの仕事を決めた。
失恋したことが、引き金となったことは確かだが、本当は、周りのみんなと同じように、普通に就職したくなかっただけだ。
ただの悪あがき……。
しかし、大いにやっちまったもんだ。
第一に僕は動物が苦手だ。
動物には馴染みがなさすぎて、僕は犬に触ることすらできない。
なにより動物を可愛がるという概念すら持っていない。
そんな僕が乳牛の世話をしようとしている。
牛の数なんと1000頭……。
第二に、面接のときあれだけニコニコしていた親方が、「若造、酪農なめんじゃねぇぞ。」的な態度でガンガン接してくることで、牧場に対する牧歌的なイメージなんて、こっぱみじんに砕かれてしまった。世間は概ねピースフルで好意的であるはずだという甘い幻想はガラガラと音を立てて崩れ去った。
牧場での生活で僕は朝から晩まで親方になじられ、こき使われた。じわじわと僕はやさぐれ、孤独にうちひしがれた。
呆れるほど広い牧草地の管理や日曜祝日に関係なく続く早朝からの搾乳、牡牛の去勢(キンタマ潰し)、その他危険な現場仕事に身も心もボロボロになった。
そして僕はついに孤独に慣れ親しんだ。
いつのまにか僕は照れないで犬や牛を撫でながら、優しく話しかけることができるようにもなっていた。
あれから18年が経ち、僕は結婚もして子供もいる。
暖かい家で、こうしてブログなんかを書いている。
そう……
僕は…………
僕なのであった。
そして
隣りではまるでゆで卵のようにほがらかな妻が、よく通る大きな声で子供らとじゃれあっている。
慣れない肉体労働で腰を壊して北海道から帰って来た僕に、突然Z子の方から連絡があった。
それから4年の交際の後に僕らは結婚した。
北海道での1年間に、僕が学んだことは、
押してもダメなら引いてみよ。
ということであった。
おしまい
※この物語はノンフィクションなのである。
「勝手に偉人伝 〜坂道〜 」
たったのひとり(笑)
完