トレンチ高校生

近所のスーパーマーケットへビールを買いにいく。

一昨日から嫁が子供を連れて実家へ帰っているので、しょんみりひとり酒といこうと思っていた。僕はスナック菓子をアテに、ビールを飲むのが好きなので、さっそくお菓子コーナーへと歩を進める。

最近のスナック菓子は、なかなか種類が豊富で、チョイスするのに結構悩むことがある。しかしここへ来る前、小銭入れに500円玉が3枚も入っているのを確認しているので、今日は納得がいくまでじっくりお菓子を選んでやろうと思っているのだ。小銭入れに500円玉がたくさん入っていると、何故だかわからないが、いつもより贅沢してもいいような気がしてしまうのはなぜだろう?

……ん?

お菓子コーナーへの角を曲がったとたん、僕は異様な空気を察した。

その空気の原因はすぐにわかった。そこには高校生くらいの男子がひとりじっと佇んでいるのだ。いやいや高校生もスナック菓子のひとつや二つ食べるだろうとお思いかもしれない……しかし異様なのは、その高校生の格好なのだ。

音楽を聴いているのだろう耳にはヘッドホンが差し込まれ、黒髪にはべったりとワックスが塗りつけられている。そして足首まで届きそうなベージュのトレンチコートを肩から羽織っているのだ。要するに高校生にありがちな、カッコつけたくってしょうがない年頃の標本だ。全然似合ってないし、カッコつけの方向性を微妙に間違っているもんだから異様に写る。だって肩からトレンチコートて!!

……んん??

いや、どうやら異様に思ったのは、それだけではないようだ。なんと彼の着ているトレンチコートの袖は、両腕とも見事に中に入ってしまっているのだ。彼はいつも服を脱ぐときに、袖を中に入れてしまったままにしているらしい。










ぐりんっ




てな具合に……普通なら着るときに直しながら袖を通すのだろうが、今日はトレンチコートを肩に羽織るという超格好付けスタイルを取り入れてしまったばっかりに、彼はその重大な過ちに気づいてないのだ!!

僕はお菓子コーナーを端から端まで順番にチェックしたいので、彼がそこを動くのをしばらく待っていた。視線を感じたのか、彼は僕の方をギロリと一瞥すると、ササッと前髪をかき分け再び目の前の商品棚へ目を移した。いや僕もそのコーナー見たいんだけどもな……まぁいいかとりあえずビールを選びにいこう。やっぱりこんな日は瓶ビールだな。そうだチーズも買おうじゃないか。少し高い物を奮発してやろう。

僕はチーズを探しに牛乳コーナーへ足を運んだが、チーズが見当たらない。おかしいな?いつもはこのへんにあるのにな……はてさて豆腐のコーナーにもない。ウィンナーのところにもない。もちろん生鮮のところにもない。僕は広い店内をぐるぐる周ってみたが、それでも見つからないので、ひとまずビールを選びにいくことにした。瓶ビールをカゴに入れ、ふと横を見るとそこにチーズが置いてあるではないか。なるほど気が利いているといえば利いている。ここに置いた方が、チーズの売上は伸びるのかもしれない。僕はチーズの中でも高級ラインナップのひとつずつを手に取り、吟味に吟味を重ねた末に、そのうち一番高い一品をカゴに入れた。これも小銭入れに入った3枚の500円玉があるからこそできることだ。

もう一度、お菓子コーナーへ戻った僕は、目を疑うことになる。なんとさっきの高校生が、まだそこにいるではないか。しかも同じ棚の前から一歩も動いていないのだ。いったい何を悩んでいるのだ。しかし邪魔だなこいつ……もういい加減に、そこをどいてくれないかな。









ハッ!





500円玉か?ひょっとしてポケットにはたくさんの500円玉が入っているのか?それなら分かる。そんなことならゆっくり選んでくれたらいいのだよ。僕は彼のことが急に憎めなくなり、ゆっくりと見守ることにした。彼がいったいどんなお菓子を選ぶのかということにも、ものすごく興味がある。







そして……







長い沈黙が流れた後に……









彼はついに動いた!!








ぐわしっ!





彼は“じゃがりこサラダ味”を片手に2つずつ、つまり上下に2つずつ重ねたものを両手に合計4つ掴んだのだ。固唾をのんで見守り続ける僕の激しい視線を感じたのか、彼はギクリと僕の方を振り返った。ばっちり目と目が合ったが、僕は興味がありすぎて目を逸らすことができなかった。




ハッ!




とは、実際には言わなかったのかもしれない。しかし僕にははっきりとそう聞こえた。




ハッ!




僕には、彼の我に返る音が聞こえたのだ。彼は僕と目が合ったあと、怯えたような顔をしながら、そっと“じゃがりこサラダ味”を元の棚に戻し、そして一目散にそこから離れて行った。




僕は、お菓子コーナーに再び彼が現れるまでしばらく、少し離れたところで待っていたが、それっきり彼は戻ってくることはなかった。もしやと思い、あわてて店内を探したが、もうどこにも彼を見つけることはできなかった。

今となって考えてみると、本当に彼には申し訳ないことをしたと反省している。

そして彼の500円玉の使い道とトレンチコートの袖のことが気になって仕方が無い。袖が中に入ってしまっていたことに気づいたとき、彼はなぜ丸坊主のおっさんに、執拗に見つめられていたのかを知ることになるだろう。




あゝトレンチ高校生