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短編小説『佐藤』

佐藤は平凡な大学生だった。

佐藤は、どこにでもいるような顔をしていて、人からよく、親しみが持てる顔だと言われることが多かった。しかしそれは褒めているわけではなく大抵、「従兄弟に似ている」だとか、「中学校のときの同級生に似ている」だとかが、その理由であった。

見た目だけではなく、性格的にもとりたてて個性がない佐藤は、そんなどこにでもいる自分にコンプレックスを持っていた。

そんなモヤモヤした感情を打破するだけのバイタリティもなく、佐藤のただただ平凡な大学生活は過ぎていった。

ある日が来るまでは……

そんな佐藤にも彼女ができたのだ。しかもそれはそれは可愛い彼女で、当時の佐藤は何度も何度も自分の頬っぺたをつねった。佐藤と佐藤の可愛い彼女とは学部は違うが、入学式のあとに行われた健康診断で偶然見かけた時から、可愛い子だなと思っていたのだ。しかし佐藤は、所詮高嶺の花と諦めていた。

毎週火曜日、佐藤の属する弓道部の的場の前を横切る彼女の姿を無意識のうちに佐藤は目で追っていたようで、それに気付いた弓道部の世話好きの女先輩が、「どうもあの子も佐藤くんのこと好きらしいよ。」と、驚きの情報を開示し、二人の仲を取り持ってくれたのだ。急転直下……茜色の夕陽が沈みゆくキャンパスの片隅で、二人は引き合わせられ、付き合い出すことになった。佐藤はなぜ佐藤の可愛い彼女が、平凡な佐藤のことなんかを好きになったのか、まったくわからなかった。

しかし佐藤は今まで生きてきた中で、一番幸せだった。

その日が来るまでは……

「わたし佐藤くんが10人目の彼氏なのよ。」

佐藤の可愛い彼女は、昔からよくモテたらしく、初めて彼氏ができた中一のころから数えて10人目の彼氏が佐藤なのだと教えてくれた。佐藤の可愛い彼女は、あっけらかんとしていたが、佐藤はそんなことわざわざ教えてくれなくてもいいのにと、心の中で思った。

そして佐藤の可愛い彼女のモテ方は、とどまるところを知らなかった。

「同じサークルの3コ上の先輩から告白された。」だとか、「街でスーツ姿の男の人に声を掛けられた。」だとか、あっけらかんとして佐藤に教えてくれる。どうも佐藤の可愛い彼女には、ある種の男性が特に惹きつけられるようで、言い寄ってくる相手は年上の男性がほとんどのようであった。サークルで出店するというので、手伝いで参加した夏祭りでも、イベント関係者らしきお年寄りから「妾にならないか?」と言われたことまであるらしい。

佐藤は、可愛い彼女がいることを誇りにも思っていたが、半面とても不安だった。どう考えても佐藤には釣り合わないのだ。初めて彼氏ができたという中一のころから数えて10人目の彼氏ということは、約6年間で10人と付き合っては別れたということだ。ということはだ。どの彼氏とも付き合いは長く続いていないのだ。佐藤は自分もすぐに飽きられ、捨てられる身になるのかもしれないと、不安で不安でしようがなかった。いや、そもそもこれは、人生のボーナスステージのようなもので、いつまでも続くものだと決して思ってはいけないのだと、自分に言い聞かせたりもした。

そして相変わらず佐藤は、なぜ佐藤の可愛い彼女が、平凡な佐藤のことなんかを好きになったのかが、まったくわからなかった。もちろん、それとなしに聞いてみたことはあるが、「うふふ。」だとか、「ひみつ。」だとか言っては、いつもはぐらかされた。

佐藤の可愛い彼女は、コーラスサークルに入っている。毎週火曜日に的場の前を通り過ぎていたのは、練習に参加するためだったようだ。佐藤の可愛い彼女は他にもいくつかのサークルに入っていた。

手芸サークルに英会話クラブ、華道サークル。

そう佐藤の可愛い彼女は、金持ちのお嬢様でもあったのだ。海沿いの町にある大学から、バスで約20分……高台の閑静な住宅街に佐藤の可愛い彼女の実家はあった。そんなところもまた、中流家庭で育った佐藤にとっては釣り合いがとれないなと考える理由のうちのひとつだった。

佐藤の可愛い彼女の属するコーラスサークル以外のどのサークルも、その活動は平日が中心だった。夜はそのまま飲み会になることもあり、佐藤は、「今帰ってきたよ。」だとか、「ご飯ちゃんと食べたの?」だとか、佐藤の可愛い彼女からの電話が入るまで、下宿先のオンボロアパートでひとり、悶々としながら待っていた。

一方、佐藤の属する弓道部は、平日も土日も練習があったので、あまり多くの時間を佐藤の可愛い彼女と一緒に過ごすことはできなかった。佐藤と佐藤の可愛い彼女が会えるのは、昼休みかまたはお互いの空いたコマが重なったときくらいであった。夜は「門限が厳しくって。」だとか、「家族で揃ってご飯を食べるのが、決まりになっているの。」だとか言って、あまり会ってくれなかった。じゃあサークルの飲み会なら門限破っても外で食べてもいいのかよ。と、佐藤は心の中で思ったが、こんなときの佐藤は、面と向かって、佐藤の可愛い彼女に突っ込みを入れることができなかった。佐藤は佐藤の可愛い彼女を失うことが怖くて、疑問に思うことがあっても何も聞けなかったのだ。

それでも佐藤の可愛い彼女は、日曜日の夜になるときちんと電話をしてきてくれた。「今日はマルミちゃんとお買い物へ行って来た。水色のワンピース買っちゃった。」だとか、「一日中、部屋で映画を観ていた。とても泣ける映画だったのよ。」だとか、たわいもない話を教えてくれる。しかし、佐藤の可愛い彼女がどのような休日をどのような相手と過ごしていたのか、実際のところが佐藤にはわからなくなってきていたので、自分以外の男の影を勝手に想像してみたりしては、下宿先のオンボロアパートでひとり、ただただ悶々としながら過ごしたりもしていた。

この日が来るまでは……

それは、佐藤の19回目の誕生日の出来事だった。佐藤の可愛い彼女は、佐藤に素敵なプレゼントをしてくれた。それは佐藤が今まで見たこともないような、とても高そうな腕時計だった。少しだけ趣味が女の子っぽいような気がしたが、隣り街の東急ハンズへ行き、迷いに迷って選んでくれたらしい。とにかく佐藤にとって、母親以外の女性からもらった人生で初めての誕生プレゼントであり、うれしくないはずがない。東急ハンズには、友達に車で連れて行ってもらったと言うので、佐藤は佐藤の可愛い彼女に、車の免許を持っている女友達なんていたかな?と思った。

しかし佐藤は今まで生きてきた中で、一番幸せだった。

その瞬間が来るまでは……

その日は珍しく夕ご飯を一緒にイタリア料理店でとることができたが、佐藤の可愛い彼女は「今日は疲れたから。」だとか、「明日、レポートの提出があるから。」だとか言って、タクシーに乗って帰ってしまった。佐藤はひとりオンボロアパートに帰り、メールをチェックするためにパソコンを起動させながら、佐藤の可愛い彼女がくれた腕時計を腕にはめてみた。よく見ると時間が微妙にズレているので、時間を合わせようとした佐藤は、腕時計の説明書を見るために、腕時計の入っていた箱をゴソゴソ探した。箱の底から出てきたのは、一枚の領収書だった。そこに並んでいるゼロの数を見た佐藤は、びっくりした。そして次に、その領収書に書き込まれた宛名を見た佐藤は、しばらく動くことができなかった。

そこに書き込まれていたのは、佐藤の可愛い彼女の苗字ではない。

腕時計の秒針の音と佐藤の心臓の脈打つ音が、お互いに追いついたり追い越されたりを繰り返した。佐藤は約一時間考えに考えた末、ひとつの結論にたどり着いた。佐藤の可愛い彼女は、佐藤に見られてはならない証拠を隠すことを怠ったのだ。佐藤の可愛い彼女に車の免許を持った女友達なんていないはずだし、そもそも平凡な佐藤のことなんて本気で好きになるはずなんてなかったのだ。この高価な腕時計も佐藤の知らない男の人に買ってもらったのだろう。バカにしやがって!こんな腕時計いらねぇよ!!と、佐藤は毒づいた。

しかし、腕時計を捨てるだけの勢いは、佐藤になかった。

とにかく終わった。佐藤のボーナスステージは、今終わったのだ。いつかこの日が来るのだろうと覚悟はしていたつもりだったが、佐藤は涙が止まらなかった。会ったこともない、その男のことを考えるだけで佐藤の心は引きちぎれそうだった。佐藤は、領収書に書かれたその男の名前に心当たりがなかったが、きっと佐藤の可愛い彼女には釣り合いのとれるカッコいい大人の男だろうと想像した。

朝方まで悶え、苦しんだ佐藤は、カーテンの隙間からうっすらと差し込む新しい朝の光を感じながら、佐藤の可愛い彼女の幸せを祈っていた。

佐藤の心の中は、不思議ととても穏やかだった。










実は……










このときの佐藤が握りしめていた領収書が……












これであった!!!





どーーーーん。





fin.

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