双眼鏡ノススメ
その日、私にとって革命が起きた。
双眼鏡の話だ。
その日は息子の通う小学校の運動会だった。誕生日のプレゼントに、妻に買ってもらった双眼鏡を使ってみて驚いた。
これまでのカメラを片手に持ち、やれ動画だのゴールの瞬間だのと立ち回っていたときには、決して味わえなかった臨場感がそこにあったのだ。例えば以前だと、カメラの画面越しでしか、息子や娘を認識していないので、ちょくちょく間違って余所の子をカメラに収めたりしてしまうこともあったし、カメラを構えるのにちょうどいい場所が取れなかったり、写真がブレてしまったときには心底がっかりすることもあった。そして、なによりも写真を撮ることに集中すればするほど、「記録」として残っても「記憶」として残らないのだ。
しかしその日、双眼鏡から覗く世界は、まったく違っていた。
特に私は乱視持ちなもんで、双眼鏡を覗いたとたん、今までぼんやりしていた景色がはっきりくっきりとして目の前に広がっていたのだ。
緊張からか最初は不安そうな顔をしていたが、演技をしているうちにだんだんと笑顔に変わってゆく息子。
がんばれ!
テントの隙間から見ているとはまったく気づかずに、クルクルと無邪気に踊る娘。
あっ!
不意によろけてきた隣りの男の子の腕が、顔にぶつかって危うく泣き出しそうになった娘を見て、私は思わず声を上げてしまった。しかし、娘はなんとか持ちこたえたようだ。
ホッ。
今これを読んでいるあなたに、もし子供がいて、まだ今年の運動会が終わってないのなら、ぜひカメラなんて持たずに双眼鏡を持って出かけて行って欲しい。
「おじいちゃんおばあちゃんに息子の走る姿を見せてあげたい。」
だとか、
「この子が大人になったときの記念に。」
なとどいう想いは、思い切って捨ててしまっても後悔なんてしません。いやむしろこの感動を生で味合わなかったことに後悔するでしょう。きっとするでしょう。
使い古された言い方ですが、きっとあなたの心のフィルムには、子供の一生懸命がんばる姿がしっかりと焼きつけられるのです。この感動を知ってしまった私は今、カメラを持って出かけた、これまでのすべての運動会を後悔しています。
場所取りなんてしなくてもいい。少しの隙間さえあれば、そこがあなたの特等席に……アッ!徒競走が始まったので、ちょっと失礼しますよ。
私は双眼鏡を手に取り、再び来賓者用のテントの脇へ潜り込んだ。
入場門に並ぶ生徒の群れの中から息子を探す。
ピントをゆっくり合わせながら、私は感慨深い気持ちで、胸がいっぱいになっていた。
大きくなったもんだなぁ。
息子がヨチヨチ歩きをしていた頃の姿を思い出していた。気がつけば私の目には少し涙が滲んでいる。
それにしてもまるですぐ目の前にいるような躍動感だ。
ずっと双眼鏡を握りっぱなしだったため、だんだん両腕が疲れて重くなってきたが、私はピントを合わせ直した双眼鏡から目が離せなくなってしまった。
ハァハァハァ
あまりの距離感に、私の心拍数は上がってきている。
ハァハァハァ
手を伸ばしたら触れられそうだ。
ハァハァハァ
ハァハァハァハァハァハァ
……ヨ、ヨシコ先生の太モモ眩しすぎるやんっ♡
ハッ!!
おしまい。