憧れの新快速

「あーやってもうたっ!須磨まで来てしもうてるわ!」

向かいの席で眠りこけていたサラリーマン風の男性が、電車が駅で停車した振動で目覚めるや否や大きな声を出している。平日昼間の大阪梅田駅へ向かう特急電車の中での一コマだ。男性は、開いたままのドアから、駅名を確認し、降りるかどうか迷っているようだったが、ドアが閉まるまでには間に合わないと考えたのか、その駅では降りず、「信じられない。」という顔をしてから、座席の隣りに置いてあった自分の大きなカバンに顔をうずめてしまった。

どこで降りるつもりだったのだろう。私がこの特急電車に乗ってからすでに4つの駅を通り過ぎてしまっている。最初その男性の前に座ってしまったとき私は、「しまった。違う場所にすわるんだった。」と後悔した。なぜなら男性の顔は真っ赤で、かなり酔っ払っていると見受けられたからだ。スーツを着込んだサラリーマン風の男性が平日の真昼間から電車の中で、ベロンベロンになっているのには何か理由があるのだろうが、その男性はほぼ背中で席に座って寝ていて、その放り出した足が通路を塞いで、他の乗客の邪魔になってしまっているのだ。対面に座っている私は普通に座っているのだが、他の乗客が私たちの間を通る度にしかめっ面をしながら通り抜けて行く。その度に私は仕方なく少しだけ足を引っ込めなければならなかった。私は全然、悪くないのにまるで私が悪いことをしているような雰囲気ではないか。平日の昼間とはいえ、車内はそこそこ乗客がいて、今更席を移るのも面倒くさいなと思っていた矢先、男性が……

「あーやってもうたっ須磨まで来てしもうてるわ!」

と、言いながら飛び起きたのだ。男性は、かなり落ち込んでいる様子で、ドアが閉まったあとしばらく荷物に顔をうずめていたかと思うと、周りを気にせずブツブツと大きな声でつぶやきながら体を起こした。酒のせいか、焦りのせいなのか、目はすっかり充血してしまっている。

私は内心「ラッキー!!」と思った。

実は私にとっての文章の師匠にあたる方が、JR新快速に乗ったときに遭遇する出来事で、面白い文章をいくつも書いているのだ。私はいつも「新快速はネタの宝庫やなぁ。」と羨ましがっていた。

こうして、ブログなんかを書いていると普段からついついネタ探しをしてしまう。言わば職業病のようなものだと思ってもらってもいいと思う。例えば私にとって「散髪屋」でのエピソードはある意味鉄板になってきている。既に散髪屋ネタで3本書いているもんだから、最近は散髪屋に、「何か起こってくれないかなー。」と期待しながら通っている節もある。しかし、何も起こってくれないので、この頃なんてあれだけ大事にしていた“モミアゲ”ですら「うっかり剃り落としてくれんかなー。」と変な期待をしてしまっている自分がいる。

ブログのネタに困ったときに「新快速乗りに行こうかな。」と考えたりしたこともある。そんな私にとって、今日のこの状況は、かなりのチャンス到来だ。男性のキャラは充分立っている。場所こそ私鉄の特急電車の中だが、この際そんなことはどうでもいいのだ。今、私のしなければならないことは、この男性が起こしてくれるであろう珍行動をしっかり記憶にとどめ、そしてブログに書くということなのだよ。はっはー。









……残念ながら、“期待したほどのこと”は何も起こらなかった。だからこの男性の顛末については書かない。その後、私は神戸で用事を済ませ、今帰りの特急電車の中でこのブログを書いている。車内は恐ろしく平和で何も起こらない。




西陽が窓から差し込み、携帯電話の画面が見にくくなってきたので、私は向かいの空いた席に移動した。





こんなことなら帰りはJRに乗るんだったな……やはり新快速でなければダメなようだ。