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バイトくん

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僕が京都でフリーターをしていたころの話。

コンサートスタッフのアルバイトをやっていた。

コンサートや芝居の舞台の仕込みからチケットのもぎり、開演中の館内警備そして舞台のバラシからトラックへの積み込みまでの手伝いを朝早くから晩遅くまで、一日中走り回ってなきゃならない仕事だ。

舞台監督さん、大道具さん、小道具さん、照明さん、音響さん、衣装さんなどのたくさんのスタッフから呼びつけられ、さまざまな雑用を命じられる。

バイトくーん!」

「はーい!」

そこはいわば体育会系のノリで、スタッフに呼ばれたら、近くにいるバイトくんは出来る限り大きな声で、瞬時に応答しないと怒られる。ときには蹴っ飛ばされる。狭い舞台や楽屋を所狭しと駆け回り、重たい機材や重たい舞台セットや重たい衣装ケースなどを運ぶのだ。基本的に全スタッフが急いでいて、ピリピリ殺気立っているので、時にはスタッフ同士が喧嘩までおっぱじめる。

声は枯れ、疲れ果てた身体を休めることができるのは、舞台の仕込みが終わり、音響さんがマイクチェックを始めた頃だ。搬入口が開いてから3時間〜4時間は、走りっぱなしだ。舞台セットが落ち着いたらすかさず弁当をかきこんで、スーツに着替える。演歌や芝居の場合は昼公演と夜公演の一日2回まわしが基本なのだ。すぐに楽屋の警備とお客さんに配るチラシの準備をしなくちゃだ。開場時間までの駐車場整理も忙しく、開演中もフラッシュが光ると飛んでいき、酔っ払い客や舞台へ上がろうとする客を止めなければならないので、ひとときも気を抜けない。

とてもしんどい仕事だったが、バイト代が日払いであるということもあり、当時フリーターだった僕は京都近郊のあちこちの市民会館やコンサートホールなどを回っていた。

時間に融通の利くフリーターの僕は、気がつくとバイトくんのチーフをやらされることになってしまった。チーフになると、いかに学生のバイトを効率よく割り振り、動かすかということを考えなければならない。

バイトくーん!」

と、呼ばれたら僕は返事だけして、近くのバイトくんに指示をし、そこへ向かわせる。ちなみにスタッフからは、

バイトくーん!3人!」

という風に、必要な人数とともに、あちこちからお呼びがかかる。バイトくんに固定メンバーが多い時には、みんな要領がわかっているので苦労しないが、新人さんの多い現場だと、ボケーっとしたやつ、隅っこに隠れて楽しようとするやつ、寝てないアピールをしてくるやつなどのバイトくんを要領の分かったバイトくんと組ませて、バランス良く送り込まないといけなかったりするのがチーフの役割のひとつだ。

さて、その小さなイベント会社は、五木ひろしにそっくりなM社長が、いつも真っ赤な口紅をさした奥さんと二人で経営していた。ふたりとも50台半ばというところだろうか。このM社長がケチのくせに見栄っ張りで、つまり小物のくせに大物ぶる人で、口だけで調子のいいことばかり言っては、中身がなく、ただただダジャレと下品な下ネタが鬱陶しい人物であった。



今回の話はこのM社長が主役だ。



僕がそのイベント会社に入った当初は、大手イベント会社の下請け仕事が多く、現場も京都近郊がほとんどだった。しかし、だんだん僕の他にもフリーターの固定メンバーが増えてきたので、M社長は図に乗って手を広げだした。

京都だけでなく大阪、奈良、滋賀、三重、兵庫の近畿圏内あちこちの市民会館で行われる大衆演芸や演歌歌手のツアーをたくさん請け負ってきたのだ。現場がダブることもあり、僕がワゴン車を運転し学生らのバイトくんたちを連れてあちこちの現場を回ることもあった。このころになると、僕ともうひとりいたバイトくんのチーフの2人に現場を任せ、M社長はたまにしか現場に出てこずに、営業とバイトくん集めに精を出していた。

ところが、バイトくんは京都市内の大学生を中心に集めていたため、遠方の現場は帰りが遅くなると敬遠され、主催者からオーダーのあった人数が集まらないことが、ちょくちょく出てきた。現場によってオーダーされる人数は様々で、10〜20数名というところだったろうか。

ひとり足りないくらいなら、仕事に影響もなく、主催者にもバレることはない。それをいいことにして、しばらくするとM社長には、ピンハネの意図があるのではないかと勘ぐるくらいに、まともに人数を揃えてこないことが続いた。

「なんとかなるだろう。」

というアマい考えと、

バイトくんが少ない分だけ、わしが儲かる。」

というシワい考えで、あまり真剣にバイトくん探しをしているようには見えなかった。これは勝手なヒドい想像なのだが、そういうことをやり兼ねないのがM社長なのだ。

そして、そのシワ寄せは僕らバイトくんにやって来る。時には、ひとりで2人以上の働きをしなくてはならないのだから。



さあ、ここから物語はいよいよ佳境に入ってくる。



ある演歌歌手のツアー中、大阪南部の市民会館で、4人もバイトくんの人数が足りないときが出てきたのだ。仕込みの最中に、首をかしげた舞台監督が、舞台上でバイトくんの人数を数えだしたので、僕は手に汗を握っていた。

「おいっ!今日バイトくんは何人来とんや?」

ついにバレたか。誤魔化せないと思った僕は、正直に答えた。当然、ぼろくそに怒られた。どうやらちょくちょくバイトくんの数が少ないと、スタッフの間で囁かれていたようで、この日はついに舞台監督の耳にも目にも届いてしまったようだ。

夕方になると主催者から呼び出されたM社長が京都から飛んできた。楽屋に呼ばれたM社長は、ずいぶん長いこと謝っていたようだ。終演後に顔を合わせたM社長の顔は憔悴していた。

その演歌歌手のツアーはまだまだ中盤であり、しかも後半は遠方の現場が続く……M社長は、苦肉の策として、飲み屋で知り合った50歳過ぎのくたびれたおっさんや、ヘルニア持ちの30歳過ぎのヨレタたスーツのやたらよく似合う男を連れてきたりした。

2人のおっさんたちは、現場的には、まったく戦力にならなかったが、僕的には行き帰りの車の運転をその2人のどちらかがしてくれるようになったので、少しだけ楽になった。しかし、バイトくんが集まりにくい遠方の現場的には、焼け石に水的であり、その尻拭いへのイライラ的な感情と、また現場監督にバレるのではないかというヒヤヒヤ的な感情で、チーフ的にはもうM社長に対しての不信感が募る的な思いばかりであった。



僕を始め、固定のバイトくんたちから、冷たい目で見られ始めているのを感じたのか、M社長は名誉挽回しようと必死になった。しかし、頑張ってるアピールをするばかりで……主催者に怒られてしばらくは、帳尻を合わせているつもりなのか、オーダーの人数よりも多いバイトくんを配置したりしていたが、ツアーも終盤に差し掛かる頃になると、三重県奈良県へ行く日と、京都の会館での現場が重なっているのだ。もはや人数不足に陥るのは必至だった。



「お願いしますよ?」

とM社長に伝えると、

「おうっ!現場の方はお前に任せたから、人集めは俺に任せとけ!」

と、大物ぶって答えるのだが、これまでの経緯から、まったく安心して聞いてられない僕なのであった。



さて、ツアー終盤がやってきて、奈良県内の市民会館に二日連続で行かなくてはならない日程の初日のことだった。長時間の肉体労働を終え、ようやく京都駅でバイトくんたちをおろしてから、仕事で使うトランシーバーの電池を取り替えるために、M社長の自宅兼事務所まで行ったときのことであった。時間はもう12時近い。明日も6時台には京都を出発しなくてはならない。

昨日の時点で、明日行く奈良の現場のバイトくんは10人必要なのに、4人も足りていないのを知っていた僕は、M社長の顔を見るなり本題に入る。


「どうでしたか?」


「うーん、実はこれが明日のメンバー表なんや……(ゴソゴソ)どうしてもひとり足りへんのや。堪忍やでっ!なんとか乗り切ってくれへんか!」


僕は無言で、そのメンバー表を見つめた。


「俺も必死であちこち走り回ったんやけどなぁ。」


M社長は、精一杯の申し訳なさそうな声を出している。こうなるのは予想していたことでもあるので、仕方ないかと思いかけたその時……


ん?


僕は違和感を感じていた。A4のコピー用紙に、綺麗な手書きで書かれた文字をもう一度見る。1から10まで振られた番号の横にバイトくんの名前が書き込まれている。ひとり足りないので、10の横はもちろん空白だ。僕は、上から順番にそのメンバー表をジッと見つめ直した。そして見つけた。その違和感の正体を。








「社長、これ7がないですけど?」


「7かーっ!」



「はい。7がないから、これじゃ2人足りないですよね。」


「しもたーっ!7かーっ!しもたーっ!」


僕が気づき指摘してから、M社長が応答するまでの時間があまりにも短すぎたし、大の大人が1から10まで順番に数字を書いて、うっかり7だけが抜けることがあるだろうか?M社長はメンバー表を見ながら、まだ言っている。


「あちゃー!7かーっ!」







掛け持ちでやっていた牛乳屋さんでのアルバイトが忙しくなってきていたということもあったが、この一件でM社長に対して完全にアイソをつかせた僕は、そのツアーの終わりとともにそのバイトを辞めた。現金収入がなくなるのは痛かったが、これ以上M社長には付き合ってられなかった。




「しもたーっ!7かーっ!」




という、M社長の芝居じみた声は、今も僕の耳の奥で鳴っている。






おわり

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