Wソーダ

僕らが住む日ノ出町は、私鉄電車の線路沿いに細長く伸びた町で、家々のすぐ裏には線路が走っていた。生まれたときからこの環境で育った僕らは、電車の走り抜ける音には慣れっこだったが、初めて家に遊びに来た友達は、必ずその音に驚いた。中には「地震だーっ!」なんて叫んで、部屋を飛び出した同級生もいたな。

これは僕らが、小学校2年生か3年生くらいのときの話。僕らというのは、僕と双子の兄とのことだ。

ある日、僕らふたりだけで、何駅か電車に乗って家に帰るということがあった。いったい何の用事で出かけていたのかは、忘れてしまったが、僕らの住んでいる家から駅まで、歩いて3分という便利さから、時々そうやって電車で出かけることがあったのだ。僕らにとって、子供だけで切符を買うのも改札口をくぐるのも手慣れたもので、当時はまだ自動改札なんてなかったので、駅員さんに切符を渡してから改札をくぐることに、なんだか少しだけ誇らしいような気分がしたものだった。

さて、いつものように切符を買い、改札をくぐり抜けた僕らは、姫路行きのホームへ抜ける階段で、“ じゃんけんグリコ ” をしながら遊んだ。天井から所々、雨水(いや地下水なのだろうか?)が漏ってきているコンクリート剥き出しの地下道に「ちよこれいと」という声が大きく不気味に響いた。僕が3歩しか進めないグーよりも、5歩も進めるパーやチョキを好んで出していたことに、途中から気づいた兄が勝ち越していた。最後は結局ルールを無視して、大きく差を開けられて悔しくなった僕が走り出したため、僕らの大きな笑い声が地下道から駅のホームへ駆け抜けた。

ホームへついた僕は、手のひらに違和感を感じた。手のひらの中には、切符とおつりが握りしめられたままだ。どうもいつもより、手のひらの中のお釣りの様子が違うのだ。見ると汗ばんだ手のひらの中で、1枚のピカピカの10円玉が太陽を浴びて光っている。おや?と思いながら切符をしげしげと眺めてから、自分のやってしまった誤ちに気がついた。70円分の切符を買ったつもりが90円分の切符を買ってしまっていたのだ。つまり、降りるつもりの荒井駅のふたつ向こうの曽根駅までの切符を買ってしまったようだ。

僕の心臓はドキドキしていた。ひとしきり大はしゃぎしながらホームまで来てから自分の失敗に気づき、その時にはタイミング良く肌色のボディの普通電車がホームに滑り込んで来ていたため、手のひらと額に汗をかきながらそのまま電車に乗り込んでしまった。しばらく無言になってうつむいている僕に気づき、双子の兄が話しかけてきた。

「どうしたん?」

僕は、カクカクシカジカ自分の置かれた状況を一生懸命説明した。そして、僕らがケンケンガクガク取るべき行動を議論して、取った行動はこうだ。

兄は、いつも通りに買った切符で、自分たちの家の最寄駅である荒井駅で降り、家へ向かう。僕は、間違えて買ってしまった切符の額面通り、ふたつ向こうの曽根駅まで行ってから、歩いて家へ向かう。

僕らは、切符の額面通りにしか電車に乗ってはいけないと思い込んでいたのだ。とても真面目だった。

僕は仕方なく、降りたくもない曽根駅の改札をくぐった。悪いことは決してしていないのに、なぜだか改札では駅員さんに怒られるような気がして、ビクビクしながら切符を渡したのだった。

歩き慣れない線路沿いの道を東へひとりで歩きながら、不安な心を誤魔化すかのように覚えたての口笛を吹いてみたが、ちっともうまく吹けなかった。自分の犯してしまった過ちに、悔いても悔い切れない気持ちが溢れてくる。母からもらった100円のうち、切符を買った残りのお金は好きに使ってもいいと言われていたのだ。僕らは残った30円を使って、近所の駄菓子屋へ行くつもりにしていた。当時大好きだったWソーダというアイスクリームを食べるつもりだったのに……僕は、券売機で間違ったボタンを押してしまったときの指の感触を思い出して、もう一度あの直前に戻ることができたらいいのにと、真剣に時間を戻す方法について考えながら歩いていった。

それにしても遅いな……と思いながら、足元の小石を蹴った。小石は明後日の方向へ飛んでいき、道路の側溝にポチャンと落ちた。背中から強い西陽が射して、僕の影が長く伸びる。その伸びた影の先の先の方から、不意に鋭い金属音がした。

「チリンチリンチリーン」

見ると、前方から双子の兄が自転車に乗ってやってくる。そう、実は僕らが電車の中で考えた計画には、続きがあったのだ。兄は、家で自転車に乗り換え、曽根駅の方面へ弟を迎えに行く。僕は、曽根駅と荒井駅の中間あたりで兄に出会い、自転車の後ろに乗せてもらう。という計画だ。その計画のどこにもほころびは無いと思っていたし、小さかった僕らにとっては大きなミッションをこなしたという充実感で、いっぱいだった。

家に帰ると、さきほどひとりで家に帰った兄からすでに話を聞いて、僕らの帰りを待ち構えていた父が、図に描いて説明してくれた。

「買った区間の手前の駅やったら、どこで降りてもええねんで?」

僕らは、うんうん。うんうん。と頷きながらWソーダをシャクシャク食べていた。10円しか残っていない僕のことを不憫に思った兄が、買ってから半分分けてくれたものだった。


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