絵描き

「この人、絵とか描いとるらしいな?」

以前、勤めていたタクシー会社で、僕が運行管理者をしていたころの話だ。夜遅く、事務所でひとり勤務割りを作っていたら、ひとりの運転手がやってきてそう言った。それは、最近入ってきた運転手のOのことを指して言っているようで、ホワイトボードに貼り出してある新入社員の紹介写真を見ながらそうつぶやいたのだ。

運転手のOは、アタマは白髪ボサボサで、いつも何色だかわからないボロボロの革ジャンを着ていて、ところどころ歯が抜けていて、こういったらなんだが品がなかった。年は50代後半、独り者。拘束時間の長いタクシー運転手をしながら、休みの日には絵を描いているのだろうか?そう言われてみれば、いつも着てくる革ジャンは、絵の具があちこちについてガピガピになったようにも見える。どんな絵を描いているのか気にもなったが、Oときたらやたらめったら無愛想で、朝、事務所にやってきても他の運転手のように、話しこんでいくことなく、そのまま出庫したら夜中まで事務所には帰ってこなかった。

ある運転手の紹介で入ってきていたOは、入社してからしばらくは大人しくしていたが、半年も過ぎたころから素行の悪さが目立ってきた。運転手や配車係と喧嘩することやお客さんとのトラブルも度々で、しまいには大きな事故を起こしてタクシーを一台おしゃかにしてから辞めていったのであった。たった1年ほどの在籍期間だった。サラッと書いたが、詳しく書いたらみんなビックリしてしまうような問題をたくさん起こしていたので、Oが辞めてくれてホッと胸を撫で下ろした人が多かった。

まぁやたら問題の多い運転手ではあったが、「絵を描いているらしい。」という情報が、僕のOに対する評価を、皆に比べて少しだけマシな物にしていた。なんだか、憎めないではないか……いや、僕もOが苦手は苦手だったんだけど、どう説明したらいいだろうか。絵を描いているということで、僕はOを「変人」というフォルダに入れていたのだ。(だ、だよね?絵描きって変人だよね?だって僕の知ってる絵描きは皆、変人だもの。)僕は、Oの悪い素行を目や耳にするたび、「まぁ変人だから仕方ないよな。」と心のどこかで思っていた。変人と思われることは得だ。

しかし、それは僕の大きな勘違いだった。Oのことは、「変人」のフォルダではなく、「ヤクザ」のフォルダに入れるべきだったのだ。一部の運転手だけが、知ってて黙ってたらしい。つまり、「絵」とは「刺青」のことだった。それを知ったときの衝撃は忘れられない。

みんなも今度から「◯◯さんって、絵描いてるらしいよ。」という噂を聞いたときには気をつけよう。