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坂道 episode4

病院まで続く坂道をうつむきながら歩く僕の足取りは重かった。

季節外れの風邪をこじらせた母が、入院してから早くも一週間が経つ。それにしても憂鬱だ。

僕には好きな女の子がいた。同じ塾に通う和美だ。和美は猫っ毛で、笑うと八重歯がニョキっと出て可愛い。勉強が出来て、バスケ部の主将も務めるいわば優等生だ。

それに比べ僕ときたら、猫背で、笑うと歯茎がニョっと出てしまう。勉強は出来ず、テニス部では球拾いばかりやっているいわば劣等生だ。

学校ではなかなか、人気者の和美としゃべる機会はないが、塾では席が隣り同士のためよくしゃべる。和美は冴えない僕にもくったくなく話しかけてきて、消しゴムにシャーペンの芯を埋め込んで喜んだり、僕に様々ないたずらを仕掛けてきてはアハハとよく笑った。僕はときに和美に好かれてるんじゃないかと錯覚したり、そんなわけないさと沈んでみたりした。

母のいる病院へ向かいながら、僕はため息をつく。こんなときに限って自転車がパンクしていて、歩いて母の病院へ向かっている。僕の住む団地から病院までは、山をひとつ越えなければならない。自転車だと登りはキツいが、その分下りで楽ができる。しかし歩きだと……ただただしんどいだけだ。

それは気分のせいも大いにあるのだが……

僕は県道から脇道へそれ、未舗装の山道を歩くことにした。少し時間はかかるが、誰にも会わなくてすむと思ったのと、その山道の途中には僕のお気に入りの場所があるからだ。

「モ〜〜〜〜〜〜」

そこは吉本さんの営む牧場の放牧地で、たくさんの牛たちが草を食んでいる。その中でも一際大きな牛が僕に近づいてくる。僕はジャンパーのポケットから、用意していたジャイアントコーンを取り出してその牛の前に差し出す。



「モ〜〜〜〜〜〜」

「チョウだ……。」



ふと見ると、牛の尻尾の先を追いかけてヒラヒラと蝶々が飛んでいる。とても長閑な風景に、僕の頬は少しだけほころび、すっかりリラックスした気持ちでその牛の頭を撫でる。



「モ〜〜〜〜〜〜」

「チョウか……」



なぜだかふと、この牛の鳴き声と蝶の飛ぶ姿が何かしらの不吉な暗示のような気がしてきて、一向によくならない母の身の上を案じた。すかさずまた牛が鳴く。




「モ〜〜〜〜〜〜」

「……チョウ……なのか?」




そういえば母は右側の下腹部が差し込むように痛むのに、お医者さんはまったく取り合ってくれないと嘆いていた。そして、そのマイナス思考の余波で、ここ数日間ずっと忘れようとしていたことを思い出してしまった。何度も何度も頭の中をよぎっては耳と目を塞いできたシーンだ………。

それは一週間前のこと……

C子は、教室にズカズカと入ってくるなり僕の机のそばへやって来て言った。

「なぁなぁあんた和美のこと、どう思っとん?」

僕は友達らとトランプをやっていて、スペードのエースの効果的な使い道のことしか考えてなかったので、まったく反応できずポカーンとしていた。C子は矢継ぎ早に話を進める。確かC子は和美と同じバスケ部だ。去年の暮れに関西のほうから引っ越してきて、あっという間にクラスを牛耳っている。僕のもっとも苦手とするタイプだ。

「好きなん?嫌いなん?」

一緒にトランプをしていた友達らは、明らかに僕とは目をそらしている。僕らのように、あまりパッとしない男子生徒にとって、女の子(しかも華のある女子バスケ部!)と休み時間に喋るなんて、身の丈知らずにもほどがあるってなもんだ。僕の気持ちは、一秒でも早くこの場からC子が去ってくれることを願うばかりだった。

「なぁなぁ和美のこと好きなん?」

しつこくC子が問うてくるので、僕は不本意ながら首を振っていた。この場で言えるはずなんてないんだ、好きだなんて……この首振りは嫌いという意思表示ではなく、あくまで今度にしてくれということなんだ。わかってくれるよね?

「え?じゃあ嫌いなん??」

すかさず聞き返すC子からの問いに、思わず今度は首を縦に振る僕……いやいやどうして首を縦に振るかな。それじゃあまるで僕が和美のことを嫌いみたいに思われるじゃないか。この首を縦に振ったことの解釈は……顎が、そう顎が痒かったので制服の襟詰めで掻いてたのだよよよ。と思考していたらいつの間にかC子は僕らの側からいなくなっていた。

それから僕らは何事もなかったかのように、トランプの続きを始めた。僕の取って置きのスペードのエースは、最後まで使うことなくその勝負は終わり、休み時間は終了した。

「はぁあああ〜〜〜〜〜〜」

僕は呑気に草を食む牛を前に、深いため息をつく。どう考えても僕は取り返しのつかない大失敗をやらかした。和美はきっと僕に気があった。いや絶対にあった。なぜなら、あのC子とのやり取りの後、すぐに和美は塾を辞めてしまったのだ。そのあまりの現実の冷たさと重たさに耐えきれず、僕はC子にからかわれたに違いないと思おうともしたが、こんなときに限って僕のプラス思考は頭をもたげ、和美は僕のことを好きだったに違いないと告げた……そして落ち込んだ。







あれから16年が経ち、僕は結婚して子供もいる。

食卓でビールを飲みながらテレビを見ていた僕は、お風呂場から聞こえてくる悲鳴にも似た妻と娘の笑い声に苦笑をし、テレビのボリュームを上げた。綺麗なニュースキャスターが笑顔で今日の出来事を読み上げる。

「次のニュースです。今日、静岡県御殿場市にある馬術スポーツセンターで第8回全日本ブラック&ホワイトショーが行われ、全国から酪農家の育てるホルスタイン牛が集まりました。この全日本ブラック&ホワイトショーは、乳牛の体系、資質の改良水準を比較し・・・・」

「ちょっとあんた、まだ食べてんの?」

いつのまにかお風呂を出ていた妻の椎子が、どうしてもパジャマを着たがらない娘を引きずりながらリビングに入ってくる。

妻の椎子……つまりC子とは同じ高校へ進学し、高2の秋に文化祭の実行委員会を一緒にやることになった。それからちょくちょく実行委員会のみんなでカラオケに行ったり、マックに行ったりとの交際が続いたが、高3のときの文化祭の打ち上げで椎子からこう言われて驚いた。

「あたしらって付き合いだして今日でちょうど1年やな。」

まったく身に覚えのないことではあったが、押しの弱い僕はそのままズルズルと椎子と付き合い続けることになる。

そして3年前の春、椎子が身籠り僕らは結婚した。つまりデキちゃった結婚だ。

言うことを聞かない娘の頭を軽く小突いてから椎子は僕の顔を覗き込む。

「あんたちょっと最近飲みすぎやで?ええ加減にしときよ。」

「はいはい。」

僕はすごすごと自分の食器を下げに台所へ立つ。

「洗いもん終わったら、お湯冷める前にお風呂入ってしまいよ。追い焚きするんは、もったいないからな。」

椎子はリビングのソファーへどっしりと座り込み、娘にパジャマを着せている。

「ほら見てみ。大きな牛さんやね・・・あっ!そうやっ!セクシーゾーンがゲストで出てるんや。」

と言って、椎子は勝手にテレビのチャンネルを変えてしまったかと思うと、娘にパジャマのズボンを着せるのも忘れてテレビに見入っている。

僕はふっと溜息をつき、スポンジをたっぷりと泡立ててから、シンクに溜まった食器を洗い始めた。











実はこのニュースキャスターの綺麗なお姉さん……








……が、取り上げた全日本ブラック&ホワイトショー未経産牛部門のグランドチャンピオンに輝いた牛こそ、僕が16年前のあの日に牧場でジャイアントコーンを食べさせた牛だったとは知るよしもなかった。












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※さて問題です。16年前、「僕」の母は何の病気で入院したのでしょうか?読み返さずにお答えください。

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