置き靴
以前、職場の更衣室に置き靴をしていたら、靴の中に潜んでいたムカデに足の親指を噛まれたことがあった。
http://hard-romantic.hatenadiary.com/entry/20160517/1463473747
それからしばらくは、置き靴をするのをやめていたが、時は流れ、やがて僕はまた置き靴をするようになっていた。よくよく考えてみるまでもなく靴の中にムカデが潜んでいるなんていう特殊なことは、そうそう何度もあることではないのだ。何よりも、人はすぐ忘れてしまう生き物なのだから。
さて、職場での退屈なルーティンワークに飽き飽きしている僕は、今日もタイムカードを押し込み、作業服をロッカーに叩き込んでから、ウキウキしながら靴を履き替えて外へでた。風が強く吹き付けていたので、僕はすかさずジャンパーの襟を立てて駐車場の端に停めてある車の方へ向かって駆け出す。
不意に左足首に痛みを感じた僕は、以前のことを瞬時にして思い出した。鋭い痛みを感じて、靴を脱いだら親指の先にムカデがぶら下がっていたこと。先輩がムカデを踏み潰してくれたこと。その先輩が、「血清打たなあかんっ!」と言って病院まで連れて行ってくれたこと。後で分かったが、ムカデの血清なんてないこと。待合室で、車椅子に乗ってドクドクと込み上げてくる痛みに耐えたこと。額には脂汗が浮かんでいたこと。ようやく入った診察室で医者から、「ムカデ?それは放っとくしかないわな。」と鼻であしらわれたこと。診察室を出ようとしたら、「あー。とりあえず帰ったら、よー冷やすんやでー。」と言われたこと。職場へ帰って、保冷剤で冷やしていたら、一層気分が悪くなってきたこと。ネットで、「ムカデ_対処」と検索してみたら、『絶対に冷やしてはいけません。』と出てきたこと。◯りま病院にはもう行かねぇぞと思ったこと。
あぁ、そうだ、僕はあの日、二度と置き靴なんてしないぞと心に誓ったのだった。それなのに……走馬灯のように浮かんでは消える嫌な思い出はさて置き、僕は慌てて靴を脱ぎ捨てて、痛みのあったくるぶしの辺りを手で払いのけた。以前と同じように、ひゃああああと叫びながらだ。
ところが、僕の足にどうやらムカデは取り付いていない。しかし、あたりを注意深く見てもムカデは落ちてない。ひ、ひょっとして……嫌な予感が走り、左足の膝から足首にかけて、サササッと手で払ってみると、ふくらはぎのあちこちに、次々と電気が走るような痛みが襲いかかる。
な、中にっ???
ひょえええええっ!!!
という悲鳴を必死で押し殺しながら、(というか、多分叫ぶ余裕もなかった)僕は更にズボンの外側からムカデを払いのける動作を数回繰り返した。最悪のストーリーは、ムカデがズボンの中を上まで這い上がってくることだ。もっと上のデリケートなゾーンを死守するために必死だった。それだけは、それだけはやめてぇええええええ!!!あんたぁ〜〜〜、それだけは堪忍してんかぁああああああああ〜〜〜。
………あ?
ちょ、ちょと待てよ?
それほど、痛くなくね?
以前、ムカデに噛まれたときは、五寸釘を踏み抜いたかと思ったほど痛かったぞ。
んと、えーっと。
日暮れた駐車場の片隅で僕は、気持ちを落ち着けてから、膝から靴下にかけてを検分した。
よく見ると、僕のズボンの膝から下の部分や靴下のあちこちには、ひっつき虫がくっついていた。それを、ズボンの上から手のひらで触ったもんだから、チクチクとした痛みがふくらはぎに走ったのだ。どうやら最初の痛みは、靴下のくるぶしの辺りにくっついたヤツが靴に当たっていたみたいなのねテヘー。そういや、今日の昼間、薮の中を少し歩いたんだぞペロー。
ひとり心の中でオチャラけてから、僕は脱いでた靴を拾い、恐る恐る周りを見回してみた。幸い駐車場には僕の他に誰もいなかったので、ホッと胸を撫で下ろしてから靴を履き、何事もなかったかのようにジャンパーの襟を立て直して車へと急いだのであった。
おしまい