あるピザ職人の憂鬱

あるところにピザ職人のNがいた。Nは普段、サラリーマンをしながら家族を養っていたが、類稀な料理の才能があったので、時々イベントなどに駆り出されては、得意のピザを焼いて賞賛の言葉を欲しいままにしていた。N自身が深くピザを愛しているからこそ、きっと美味いピザを焼くことができるのだ。僕は敢えてNのことをピザ職人と呼ばせてもらう。

おまけにNときたら、甘いマスクと軽快なトーク術を兼ね備え持ち、誰とでも瞬時に打ち解けることができるという特技がある上に、運動神経も抜群で、30代後半に始めたオフロードバイクでもその才能を発揮し、出場したエンデューロレースで次々と優勝トロフィーをかっさらうという、まさにモテるためにこの世に生まれてきたといっても過言ではない人物であった。なんとNはあるCMで、あのモッくんこと本木雅弘の代役も演じたこともあるのだ。そしてブルースハープを吹かせたら超絶で、聴いている女の子の目が♡♡になるのだ。

しかし、そんなNにも欠点があった。Nは疲れがピークに達すると、極端に思考能力が低下するのである。Nが自分で言うには、何年か前に河原でオフロードバイクに乗っていて、大きく転倒したときに頭をぶつけてから、どうも調子が悪いらしい。(転けた瞬間の記憶は今だにないという。)


例えばこういうことがあった。2月に大阪で行われたオフロードバイクエンデューロレースの120分耐久に出場したNらと、その帰りに晩飯を食べるために高速道路のパーキングエリアに寄ったときのこと。カキフライ定食を頼んだNの前に、お盆に載った美味しそうな料理が運ばれてきた。僕らの前にも料理が並び、ヘトヘトだった僕らのテンションは上がった。しかし、しばらくするとNが大きな声を出す。

「うわっ!ちょっと待って!」

どうしたどうした?と聞く僕らにNはこう言った。

「これカキフライにタルタルソースが付いてないって考えられへんねんけど!」

Nはカンカンに怒っている。カキフライの入ったお皿のすぐ横の小鉢には、プルプルのタルタルソースが、揚げたてのカキフライと絡まるそのときをジッと待っているというのにだ。すかさず突っ込むと、照れ笑いで誤魔化しながらキャベツにかけるためのドレッシングを手に取るN……しかし、しばらくドレッシングの容器を調べるようにしたあと、首をひねりながら、

「あかん……これの開け方がわからへん。」

と言い放ち、トンッと机にドレッシングを置いた。なんとNは開けるのをあきらめたのだ。

これはさすがに笑うに笑えなかった。おまえほんまに大丈夫か?と僕らは声をそろえて言った。ドレッシングの容器は最近よくある形状で、外蓋をカチッと外してから、小さい内蓋を回して開けるタイプのやつだ。そうそうピエトロドレッシングの容器と同じ形状だ。美食家のNがピエトロドレッシングを知らないはずがないし、仮に知らなくてもドレッシングの蓋なんてもんは、引っ張るか回すかのどちらかをすりゃあ、たいてい開くってもんだ。



こんなこともあった。去年の秋の連休に開催された、あるイベントでNは例によって得意のピザを焼いた。ピザ職人Nの心のこもった調理により、こんがりと焼けたピザに多くの来場者が舌鼓を打ち、ピザは連日飛ぶように売れた。そして、いよいよ迎えた最終日の朝、僕とふたりでイベント会場へ向かう道中、事件は起こった。

前日と前々日の2日間で、毎日100枚以上のピザを焼いて疲れ果てていたNは、助手席に深々と身を沈めながら呟く。

「はぁー。今日もまたピザ焼くのか……もうピザ見たくないなぁ。」

Nの声にはまったく張りがない。このイベントでは、薪ストーブを使ってピザを焼くため、ずっと腰を屈めたままの姿勢なのだ。相当疲れているのだろう。そりゃあ見たくもないわなぁピザ……僕も学生の頃、焼肉屋でバイトしてたときには、あれだけ好きだった肉を見たくも食べたくもなかったもんなぁ。そういやカレー屋で清掃のバイトをしてたときも、週に3日のカレー屋が閉店してからの清掃作業で、匂いだけしか嗅いでないのに、その時期は全然カレーなんて食べたくなかったもんなぁ。

僕はNに同情した。

しばらくしてNが、タバコと朝ごはんを買いたいというので僕らはコンビニに寄った。僕は、家で朝ごはんを食べてきていたので、コーヒーだけを買い、先に車でNが帰ってくるのを待っていた。しばらくすると、コンビニから出てきたNが憤慨して戻ってくるではないか。いったい何があったんだと、聞いてみると、





「ちょっとこのコンビニ考えられへんわ。」






何かトラブルがあったのかな?と訝しぶる僕にNは怒りを抑えながらこう言った。




















ピザまん置いてないねんで!ほんま考えられへんわ!!






僕は絶句した。






これを読んだらNは、「そんなアホな。」と言うだろうが、僕はただ淡々と事実のみを書いただけだ。これは完全ノーカットノンフィクションのお話しなのである。





おしまい。