ダイエット

高校生くらいから結婚するまで、僕の体重はおおむね54〜55キロだった。背丈もないので、その頃の僕は華奢でひ弱な感じだったと思う。学生の頃にやってたスポーツもテニスであり、それはそれは白いポロシャツが似合う青年であった。


あれから約20年が過ぎ、気がついたら僕の体重は68キロ超えを記録してしまった。去年の夏に川遊びに行ったときの水着姿の写真を見て、自分の体つきに愕然としてしまった。普段、オフロードバイクに乗って遊んでいるので、肩や腕はそれなりに筋肉がついているのだが、腰まわりは完全におっさんのそれであり、もっちりしている。完全無防備なぐうたらな生活を送ってきたのだから、仕方がない。



それにしても、あの華奢でひ弱だった青年がオフロードバイクで飛んだり跳ねたり、時には転がったりして遊ぶようになるとは、夢にも思わなかったな。僕は2年前の40歳になるまでバイクになんてまったく興味がなく、まさか自分がバイクのタイヤやマフラーを交換するようになる日がくるなんて、ほんとうに考えられなかった。2年以上前の僕を知る知人からも、「まったくいい歳して、オフロードバイクみたいな危ないこと、やめときなさいよ。」と、たしなめられることが多い。そそっかしい僕は、ときどき自転車や原付バイクで転けて怪我したりしていたのだ。言われなくったって、自覚はある。充分に気をつけているし、だいたいそんなに無茶なことはしていない。この歳になってあまり怪我もしたくないので、合気道を習って上手な身体の使い方も会得している。




合気道ってやつは、まったくもって本当に素晴らしい武術であり、やればやるほど身体がバージョンアップしていくような錯覚を覚える。いやこれは、錯覚なんかじゃない。きっと今の僕の身体は、2年前よりも、いや20年前よりも柔らかく、無駄なく、そして美しく躍動しているのだ。








「今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に、力と、勇気と、信念とを持って、自己の人生に対する責務を果たし、恒に平和と愛とを失わざる、誠の人間として生きることを厳かに誓います。」(中村天風)




合気道の稽古の冒頭で、僕の師は黙想しながらこう称える。


技の完成度や精通度よりも、呼吸や間合い、つまりは心の有り様に重きをおく僕の師に、稽古をつけてもらっているうちに、気がつくとガチガチだった技や身体も少しずつ、角が取れて、やがてすっかり生まれ変わったかのように感じられるのだ。とても不思議な感覚だ。







それはそうと、これを読んでいる人の中には、オフロードバイクを “ 荒々しい乗り物 ” だと勘違いしている人も多いのではないだろうか?実はオフロードバイクは、繊細な乗り物なのである。もちろん荒々しく乗ろうとしてもいくらでも乗れるのだが、僕がやっているエンデューロやトライアルのバイク競技は、かなり繊細なタッチが要求される。何よりも勢いに任せた雑な乗り方は怪我に繋がるのだ。

その点、合気道とオフロードバイクは、実に相性バッチリで、それぞれの稽古がそれぞれの能力を高めあっているところがあると確信している。つまり、旧知の人々が心配するようなことはないのであって、まったくの杞憂なのだ。

これらの修練で僕は、高い身体性と強い精神力を養う。しかし、ダートライダーとしても武道家としても、僕の体つきはあまりにもだらしなさすぎた。

またバイクのエンデューロレースで120分を走りきる持久力を得るためには、こんな重たい身体では話にならないのだ。



というわけで、僕には本気で痩せなければならない理由ができた。









グッバイぐうたらな僕の身体よ。











さて、2015正月明けには68キロを超えていた僕の体重は、なんやかんや頑張って、この度なんと-10キロの減量に成功したのだ。




















一時は、なかなか60キロの壁が破れなかったんだけど、お菓子と晩酌をやめたら、あっさりクリアーしてし……え?


なに?



左足?



この靴下のこと?



いいでしょこれ。



え?



ち、ちがうってば。



骨折したんじゃないってば。


だから、こういうデザインなんだってば。








そ、そんなことよりもさー。野々村真ってこの頃『世界ふしぎ発見!』でしか見かけませんが、食えてるんでしょうかねー?ひょっとしてバイトとかしてるんですかねー?心配ですよねー?




じゃっ!またねっ!!



















(ふぅ〜。なんとか誤魔化せたな。治ったら、ステアケース(※)もっと練習して、今度は失敗しないようにしなくちゃだわ。くそう。)

※ステアケースとは、バイクでウィリーをして障害物を飛び越えるテクニックのことである。テクニックもいるが、何よりも必要なのは度胸なのである。

あるピザ職人の憂鬱

あるところにピザ職人のNがいた。Nは普段、サラリーマンをしながら家族を養っていたが、類稀な料理の才能があったので、時々イベントなどに駆り出されては、得意のピザを焼いて賞賛の言葉を欲しいままにしていた。N自身が深くピザを愛しているからこそ、きっと美味いピザを焼くことができるのだ。僕は敢えてNのことをピザ職人と呼ばせてもらう。

おまけにNときたら、甘いマスクと軽快なトーク術を兼ね備え持ち、誰とでも瞬時に打ち解けることができるという特技がある上に、運動神経も抜群で、30代後半に始めたオフロードバイクでもその才能を発揮し、出場したエンデューロレースで次々と優勝トロフィーをかっさらうという、まさにモテるためにこの世に生まれてきたといっても過言ではない人物であった。なんとNはあるCMで、あのモッくんこと本木雅弘の代役も演じたこともあるのだ。そしてブルースハープを吹かせたら超絶で、聴いている女の子の目が♡♡になるのだ。

しかし、そんなNにも欠点があった。Nは疲れがピークに達すると、極端に思考能力が低下するのである。Nが自分で言うには、何年か前に河原でオフロードバイクに乗っていて、大きく転倒したときに頭をぶつけてから、どうも調子が悪いらしい。(転けた瞬間の記憶は今だにないという。)


例えばこういうことがあった。2月に大阪で行われたオフロードバイクエンデューロレースの120分耐久に出場したNらと、その帰りに晩飯を食べるために高速道路のパーキングエリアに寄ったときのこと。カキフライ定食を頼んだNの前に、お盆に載った美味しそうな料理が運ばれてきた。僕らの前にも料理が並び、ヘトヘトだった僕らのテンションは上がった。しかし、しばらくするとNが大きな声を出す。

「うわっ!ちょっと待って!」

どうしたどうした?と聞く僕らにNはこう言った。

「これカキフライにタルタルソースが付いてないって考えられへんねんけど!」

Nはカンカンに怒っている。カキフライの入ったお皿のすぐ横の小鉢には、プルプルのタルタルソースが、揚げたてのカキフライと絡まるそのときをジッと待っているというのにだ。すかさず突っ込むと、照れ笑いで誤魔化しながらキャベツにかけるためのドレッシングを手に取るN……しかし、しばらくドレッシングの容器を調べるようにしたあと、首をひねりながら、

「あかん……これの開け方がわからへん。」

と言い放ち、トンッと机にドレッシングを置いた。なんとNは開けるのをあきらめたのだ。

これはさすがに笑うに笑えなかった。おまえほんまに大丈夫か?と僕らは声をそろえて言った。ドレッシングの容器は最近よくある形状で、外蓋をカチッと外してから、小さい内蓋を回して開けるタイプのやつだ。そうそうピエトロドレッシングの容器と同じ形状だ。美食家のNがピエトロドレッシングを知らないはずがないし、仮に知らなくてもドレッシングの蓋なんてもんは、引っ張るか回すかのどちらかをすりゃあ、たいてい開くってもんだ。



こんなこともあった。去年の秋の連休に開催された、あるイベントでNは例によって得意のピザを焼いた。ピザ職人Nの心のこもった調理により、こんがりと焼けたピザに多くの来場者が舌鼓を打ち、ピザは連日飛ぶように売れた。そして、いよいよ迎えた最終日の朝、僕とふたりでイベント会場へ向かう道中、事件は起こった。

前日と前々日の2日間で、毎日100枚以上のピザを焼いて疲れ果てていたNは、助手席に深々と身を沈めながら呟く。

「はぁー。今日もまたピザ焼くのか……もうピザ見たくないなぁ。」

Nの声にはまったく張りがない。このイベントでは、薪ストーブを使ってピザを焼くため、ずっと腰を屈めたままの姿勢なのだ。相当疲れているのだろう。そりゃあ見たくもないわなぁピザ……僕も学生の頃、焼肉屋でバイトしてたときには、あれだけ好きだった肉を見たくも食べたくもなかったもんなぁ。そういやカレー屋で清掃のバイトをしてたときも、週に3日のカレー屋が閉店してからの清掃作業で、匂いだけしか嗅いでないのに、その時期は全然カレーなんて食べたくなかったもんなぁ。

僕はNに同情した。

しばらくしてNが、タバコと朝ごはんを買いたいというので僕らはコンビニに寄った。僕は、家で朝ごはんを食べてきていたので、コーヒーだけを買い、先に車でNが帰ってくるのを待っていた。しばらくすると、コンビニから出てきたNが憤慨して戻ってくるではないか。いったい何があったんだと、聞いてみると、





「ちょっとこのコンビニ考えられへんわ。」






何かトラブルがあったのかな?と訝しぶる僕にNは怒りを抑えながらこう言った。




















ピザまん置いてないねんで!ほんま考えられへんわ!!






僕は絶句した。






これを読んだらNは、「そんなアホな。」と言うだろうが、僕はただ淡々と事実のみを書いただけだ。これは完全ノーカットノンフィクションのお話しなのである。





おしまい。

バイトくん

僕が京都でフリーターをしていたころの話。

コンサートスタッフのアルバイトをやっていた。

コンサートや芝居の舞台の仕込みからチケットのもぎり、開演中の館内警備そして舞台のバラシからトラックへの積み込みまでの手伝いを朝早くから晩遅くまで、一日中走り回ってなきゃならない仕事だ。

舞台監督さん、大道具さん、小道具さん、照明さん、音響さん、衣装さんなどのたくさんのスタッフから呼びつけられ、さまざまな雑用を命じられる。

バイトくーん!」

「はーい!」

そこはいわば体育会系のノリで、スタッフに呼ばれたら、近くにいるバイトくんは出来る限り大きな声で、瞬時に応答しないと怒られる。ときには蹴っ飛ばされる。狭い舞台や楽屋を所狭しと駆け回り、重たい機材や重たい舞台セットや重たい衣装ケースなどを運ぶのだ。基本的に全スタッフが急いでいて、ピリピリ殺気立っているので、時にはスタッフ同士が喧嘩までおっぱじめる。

声は枯れ、疲れ果てた身体を休めることができるのは、舞台の仕込みが終わり、音響さんがマイクチェックを始めた頃だ。搬入口が開いてから3時間〜4時間は、走りっぱなしだ。舞台セットが落ち着いたらすかさず弁当をかきこんで、スーツに着替える。演歌や芝居の場合は昼公演と夜公演の一日2回まわしが基本なのだ。すぐに楽屋の警備とお客さんに配るチラシの準備をしなくちゃだ。開場時間までの駐車場整理も忙しく、開演中もフラッシュが光ると飛んでいき、酔っ払い客や舞台へ上がろうとする客を止めなければならないので、ひとときも気を抜けない。

とてもしんどい仕事だったが、バイト代が日払いであるということもあり、当時フリーターだった僕は京都近郊のあちこちの市民会館やコンサートホールなどを回っていた。

時間に融通の利くフリーターの僕は、気がつくとバイトくんのチーフをやらされることになってしまった。チーフになると、いかに学生のバイトを効率よく割り振り、動かすかということを考えなければならない。

バイトくーん!」

と、呼ばれたら僕は返事だけして、近くのバイトくんに指示をし、そこへ向かわせる。ちなみにスタッフからは、

バイトくーん!3人!」

という風に、必要な人数とともに、あちこちからお呼びがかかる。バイトくんに固定メンバーが多い時には、みんな要領がわかっているので苦労しないが、新人さんの多い現場だと、ボケーっとしたやつ、隅っこに隠れて楽しようとするやつ、寝てないアピールをしてくるやつなどのバイトくんを要領の分かったバイトくんと組ませて、バランス良く送り込まないといけなかったりするのがチーフの役割のひとつだ。

さて、その小さなイベント会社は、五木ひろしにそっくりなM社長が、いつも真っ赤な口紅をさした奥さんと二人で経営していた。ふたりとも50台半ばというところだろうか。このM社長がケチのくせに見栄っ張りで、つまり小物のくせに大物ぶる人で、口だけで調子のいいことばかり言っては、中身がなく、ただただダジャレと下品な下ネタが鬱陶しい人物であった。



今回の話はこのM社長が主役だ。



僕がそのイベント会社に入った当初は、大手イベント会社の下請け仕事が多く、現場も京都近郊がほとんどだった。しかし、だんだん僕の他にもフリーターの固定メンバーが増えてきたので、M社長は図に乗って手を広げだした。

京都だけでなく大阪、奈良、滋賀、三重、兵庫の近畿圏内あちこちの市民会館で行われる大衆演芸や演歌歌手のツアーをたくさん請け負ってきたのだ。現場がダブることもあり、僕がワゴン車を運転し学生らのバイトくんたちを連れてあちこちの現場を回ることもあった。このころになると、僕ともうひとりいたバイトくんのチーフの2人に現場を任せ、M社長はたまにしか現場に出てこずに、営業とバイトくん集めに精を出していた。

ところが、バイトくんは京都市内の大学生を中心に集めていたため、遠方の現場は帰りが遅くなると敬遠され、主催者からオーダーのあった人数が集まらないことが、ちょくちょく出てきた。現場によってオーダーされる人数は様々で、10〜20数名というところだったろうか。

ひとり足りないくらいなら、仕事に影響もなく、主催者にもバレることはない。それをいいことにして、しばらくするとM社長には、ピンハネの意図があるのではないかと勘ぐるくらいに、まともに人数を揃えてこないことが続いた。

「なんとかなるだろう。」

というアマい考えと、

バイトくんが少ない分だけ、わしが儲かる。」

というシワい考えで、あまり真剣にバイトくん探しをしているようには見えなかった。これは勝手なヒドい想像なのだが、そういうことをやり兼ねないのがM社長なのだ。

そして、そのシワ寄せは僕らバイトくんにやって来る。時には、ひとりで2人以上の働きをしなくてはならないのだから。



さあ、ここから物語はいよいよ佳境に入ってくる。



ある演歌歌手のツアー中、大阪南部の市民会館で、4人もバイトくんの人数が足りないときが出てきたのだ。仕込みの最中に、首をかしげた舞台監督が、舞台上でバイトくんの人数を数えだしたので、僕は手に汗を握っていた。

「おいっ!今日バイトくんは何人来とんや?」

ついにバレたか。誤魔化せないと思った僕は、正直に答えた。当然、ぼろくそに怒られた。どうやらちょくちょくバイトくんの数が少ないと、スタッフの間で囁かれていたようで、この日はついに舞台監督の耳にも目にも届いてしまったようだ。

夕方になると主催者から呼び出されたM社長が京都から飛んできた。楽屋に呼ばれたM社長は、ずいぶん長いこと謝っていたようだ。終演後に顔を合わせたM社長の顔は憔悴していた。

その演歌歌手のツアーはまだまだ中盤であり、しかも後半は遠方の現場が続く……M社長は、苦肉の策として、飲み屋で知り合った50歳過ぎのくたびれたおっさんや、ヘルニア持ちの30歳過ぎのヨレタたスーツのやたらよく似合う男を連れてきたりした。

2人のおっさんたちは、現場的には、まったく戦力にならなかったが、僕的には行き帰りの車の運転をその2人のどちらかがしてくれるようになったので、少しだけ楽になった。しかし、バイトくんが集まりにくい遠方の現場的には、焼け石に水的であり、その尻拭いへのイライラ的な感情と、また現場監督にバレるのではないかというヒヤヒヤ的な感情で、チーフ的にはもうM社長に対しての不信感が募る的な思いばかりであった。



僕を始め、固定のバイトくんたちから、冷たい目で見られ始めているのを感じたのか、M社長は名誉挽回しようと必死になった。しかし、頑張ってるアピールをするばかりで……主催者に怒られてしばらくは、帳尻を合わせているつもりなのか、オーダーの人数よりも多いバイトくんを配置したりしていたが、ツアーも終盤に差し掛かる頃になると、三重県奈良県へ行く日と、京都の会館での現場が重なっているのだ。もはや人数不足に陥るのは必至だった。



「お願いしますよ?」

とM社長に伝えると、

「おうっ!現場の方はお前に任せたから、人集めは俺に任せとけ!」

と、大物ぶって答えるのだが、これまでの経緯から、まったく安心して聞いてられない僕なのであった。



さて、ツアー終盤がやってきて、奈良県内の市民会館に二日連続で行かなくてはならない日程の初日のことだった。長時間の肉体労働を終え、ようやく京都駅でバイトくんたちをおろしてから、仕事で使うトランシーバーの電池を取り替えるために、M社長の自宅兼事務所まで行ったときのことであった。時間はもう12時近い。明日も6時台には京都を出発しなくてはならない。

昨日の時点で、明日行く奈良の現場のバイトくんは10人必要なのに、4人も足りていないのを知っていた僕は、M社長の顔を見るなり本題に入る。


「どうでしたか?」


「うーん、実はこれが明日のメンバー表なんや……(ゴソゴソ)どうしてもひとり足りへんのや。堪忍やでっ!なんとか乗り切ってくれへんか!」


僕は無言で、そのメンバー表を見つめた。


「俺も必死であちこち走り回ったんやけどなぁ。」


M社長は、精一杯の申し訳なさそうな声を出している。こうなるのは予想していたことでもあるので、仕方ないかと思いかけたその時……


ん?


僕は違和感を感じていた。A4のコピー用紙に、綺麗な手書きで書かれた文字をもう一度見る。1から10まで振られた番号の横にバイトくんの名前が書き込まれている。ひとり足りないので、10の横はもちろん空白だ。僕は、上から順番にそのメンバー表をジッと見つめ直した。そして見つけた。その違和感の正体を。








「社長、これ7がないですけど?」


「7かーっ!」



「はい。7がないから、これじゃ2人足りないですよね。」


「しもたーっ!7かーっ!しもたーっ!」


僕が気づき指摘してから、M社長が応答するまでの時間があまりにも短すぎたし、大の大人が1から10まで順番に数字を書いて、うっかり7だけが抜けることがあるだろうか?M社長はメンバー表を見ながら、まだ言っている。


「あちゃー!7かーっ!」







掛け持ちでやっていた牛乳屋さんでのアルバイトが忙しくなってきていたということもあったが、この一件でM社長に対して完全にアイソをつかせた僕は、そのツアーの終わりとともにそのバイトを辞めた。現金収入がなくなるのは痛かったが、これ以上M社長には付き合ってられなかった。




「しもたーっ!7かーっ!」




という、M社長の芝居じみた声は、今も僕の耳の奥で鳴っている。






おわり

テレビ番組

このごろテレビ番組を見ていると、観覧席から上がる

「おーーーっ」

という声。

あれに、とても不愉快な気分にさせられる。


……え?

イマイチどんな状況かわかりにくいって?

この、

「おーーーーーーっ」

「おぉおおお」

というような、驚いたときに発せられるときの声ではない。「お」の発声量はずっと同じで、語尾に小さい「っ」が付き、2音上がる。

「おーーーっ( ⤴︎ )」

なんか挑発的というか、エラソーなのだ。そう、まるで上から目線で、

「おーーーっ(よう言うたな!)」

という感じの

「おーーーっ( ⤴︎ )」

なのだ。


テレビ番組の中では例えば、こういうときに使われる。

ミニゲームやクイズをクリアーしながらチームに分かれてポイントを競うような、このごろよくあるしょうむないテレビ番組で、ジャニーズのしょうむないイケメン風きかせたタレントYが……

「次はパーフェクト狙っちゃいまーす。」

カメラ目線のYは長い前髪を靡かせながら甘いマスクでそう宣言する。すると観覧客から……

「おーーーーーーっ( ⤴︎ )」

という声が上がるのだ。(よく通る女性の声の方がより前面にでて聞こえてくる。)


なんなんだろうこの違和感は?



これは例えば、まったく色気のなかったテニス部の後輩が、飲み会の席で

「今年は彼女作りますっ!」

と、いきなり告白したときに使われる

「おーーーーーーっ( ⤴︎ )」

なのである。




テレビ番組の中では、観覧客にいるみんなが声を合わせてこれを言う。ディレクターとかから、そういう指示が出ているのだろうか?


昔のテレビ番組は、観覧席からこのような

「おーーーっ( ⤴︎ )」

という声が上がることはなかった気がする。これではまるで観覧客のほうが格上かのように聞こえるのだ。いや僕は別にタレントの方が格上だと思っているわけではない。ジャニーズのイケメン風きかせたYのように、どうしようもなくしょうむないやつも多いが、そのしょうむないやつが出ているしょうむないテレビショーの “ 観覧席に座っているような、もっとしょうむないやつら ” に比べたら、遥かにYのほうが頑張っていると思うのだ。その頑張りには、少しばかりであっても敬意を払うべきだし、素人がタレントをいじるのは見ていてもあまり感じが良くないのだ。


もしも僕がYだったとして、

「次はパーフェクト狙っちゃいまーす。」

と、カメラに向かってかっこ良く宣言したあとに、

「おーーーーーーっ( ⤴︎ )」

と、観覧客が言おうものなら、

「は?誰に向かって言ってんの?」

と、キレるだろう。そして、続けてこう言う。そうだな、できればプライドの高そうな、観覧客の中でも一番綺麗なお姉さんに、(こういう子は今まで、周りからもちやほやされて育ってきただろうから、きっと言い返されることに慣れてないだろう。しかし、そんなことは関係ない。これは誰かが言わなければならないことなのだから……しかしこの子、かわいいな。よく見たら、まさかの反撃にあって、ちょっと涙目になってるじゃないか。でもね、言わせてもらうよ。今日という今日はね、さすがの僕も我慢ならないんだ。マネージャーには、あとで怒られるだろうけど、こんな状況がいつまでも許されちゃいけないんだ。)








僕は、長い前髪を靡かせながら甘いマスクでこう言う。














「収録終わったら食事でもどうですか?」







ってね。

サウナ風呂の楽しみ方

「サウナ」が好きだ。

いや、正確には「サウナのあとに入る水風呂」がすきだ。

サウナのそのアホみたいに猛烈な熱さを辛抱するのは、すべては水風呂に入るための儀式なのである。

流れる汗と、のぼせる頭を限界ギリギリまで繰り延べて、もうダメだというところで、サッとサウナを飛び出してから、頭の先まで水風呂に浸かる。頭はクラクラし、全身を痺れるような感覚が襲うが、やる度に身体が引き締まっていくような気がする。僕は時間の許す限りそれを何度も何度もストイックに繰り返すのだ。あまりやったことない人には、ぜひ一度やってみてもらいたい。水風呂へ飛び込む前に、しっかりと息を止めておくのをおすすめする。水の中へ全身浸かってから、そっと口を開けると、内臓からの熱気玉のようなものが、「ポコッ」と出てくるのがまたたまらなくいとおしい。身体から、水分をギュウギュウと搾り取ってからの風呂上がりの生ビールは、この世で一番上手い飲み物に違いない。「無人島に持って行きたい飲み物」ぶっちぎりの第一位である。

さて今日は、「サウナは苦手だから入らないの。」と言う人が回りに多いので、そんな人のために、実は奥深いサウナの世界を教えて差しあげたいと思うのだ。

『一緒にサウナに入っているおっさん連中は、お互い無関心、マイペースをきどっているように見えると思うが実はそうではなく、そこではさまざまな駆け引きが繰り広げられているのだよ。』ということを………なぜなら、サウナを出たところに設置してある水風呂は、たいてい作りが小さいため、おっさんが二人以上で入るのはキツイ場合が多いのだ。そこで、お互いにサウナを出るタイミングがダブらないようにする注意が必要なのだ。そこへきておっさんたちには「俺のほうが辛抱強いんだぜ。」というへんな競争心が加わるため、サウナの中はまさに熱気に包まれる。もちろんそれはボイラーによる熱気なのだが、負けられない戦いがそこにはある……まぁいつもいつもそんな戦いに発展するというわけではないのだが、一緒に入っているおっさんから、あきらかに勝負を挑んでくるようなそぶりが見えたときに、時によって頭の中ではゴングが鳴るのである。


【ラウンド 1 】

その昔ながらの情緒あふれる銭湯のサウナ室は、大人が4人も入ればすぐいっぱいになってしまうくらいのスペースで、僕が扉を開けたときにはすでにひとりのおっさんの先客がいた。そのおっさんは、僕が入るなりジロリと睨んできたような気がしたのだが、その日はあまり長居するつもりもなかったので、なるべく気にしないようにした。年齢は50歳前くらいだろうか。健康的に日焼けした皮膚と、鍛えられた身体から、体育会系の匂いをプンプンと放っている。そのおっさんはあきらかに僕のことを意識しているようだ。砂時計と僕とを交互に見ては、タオルでしきりに汗を拭いている。砂時計の残りの砂の量から推測するに、どうやら僕がサウナに入る少し前に、そのおっさんもサウナに入室したようだ。さらに推測するに、おっさんは「砂時計の砂が落ち切ったら出よう。」という当初の予定から、「あいつが音を上げてから出よう。」という方針に変わったようだ。



そんなことがなぜ分かるのかって?





僕にはただ分かるのだ。





僕の頭の中でもゴングが鳴った。



その日僕は少々お酒を飲んでいたので、軽く嗜むつもりでサウナに入ったのだが、状況がそれを許さない。「このおっさんが音を上げてから出よう。」と堅く決心した僕は、戦闘体制に入った。ちなみに “ 戦闘 ” は “ 銭湯 ” にかかっている。

気が付くと砂時計の砂は、とうの昔に落ち切っていたが、僕は立上ってそれをもう一度ひっくり返した。お酒に酔っている僕は心理戦にでることにしたのだ。つまり、まともに戦って勝てる気がしなかったので、ゆさぶり攻撃をかけているのだ。次に僕は足をゆっくり組み直し、大きく背伸びをしてから両手をおおきく後ろについて自分の身体を支えた。いかにも「ぜんぜん余裕ですよー。」というリラックスしたポーズだ。畳み掛けるように僕は、おっさんに聞こえるか聞こえないかのビミョーな音量で、軽く鼻歌を歌った。これがかなり効いたようで、間もなくおっさんはそそくさとサウナを出ていった。




勝った。



しかし、戦いはまだ始まったばかりだ。きっとあいつは戻ってくるだろう。


【ラウンド2】

お互いを目線の隅に意識し合いながら水風呂と、束の間の休息をすませ、どちらからともなく僕とおっさんは再びサウナに戻る。さあ今度こそ、ほぼ同時入室のためフィフティフィフティーの戦いになるのだ。今度こそ絶対に負けられない。僕とおっさんは対角線上にどっしりと構えて座った。

そのサウナは100℃近くの温度がある上に乾式のため、やがてヒリヒリと皮膚を焼くような感覚が襲ってくる。かなりの時間がたったような気がするが、ほんとはせいぜい3〜4分くらいのことなのだろうか、このおっさん、なかなかのやり手のようだ。実は僕は今日、友人と一緒に来ているため、長期戦だけは避けたいのだ。すでに脱衣所にいる友人のことを気にしながらも、どうしても勝ちたい僕は、とっておきの必殺技を使うことにした。

僕は扉を開けてサウナを出たのだ。しかし、しっぽを巻いて逃げたわけではない。僕は “ 眼鏡 ” を置くために外に出たのだ。水風呂と壁との間のじゃまにならない空間に眼鏡を置いた僕は、再び踵を返してサウナに戻る。僕がサウナを先に出た瞬間、おっさんはきっと勝利を確信したに違いない。そこにまさかの延長戦だ。きょとんとした顔をしながら、戻ってきた僕を見るおっさんの顔には、もはや延長戦を戦う気力は残っていなかった。間も無くおっさんは、くやしそうにサウナを出ていった。



勝った。




え?ずるいって?これは、みのもんたの『クイズ$ミリオネア』で言うところの “ テレフォン(友達に電話して、クイズの答えを相談することができるやつ) ” に代表される「ライフライン」のようなものだ。第一、眼鏡は熱に弱いのだ。そして、どんな手を使っても勝ちさえすればいいのだ。




【ラウンド3】

さすがにもう次はないだろうと思っていたのだが、おっさんはまた勝負を仕掛けてきた。僕のあとを追ってサウナに入ってきたおっさんの顔には、決意が見られた。「今度こそ絶対にこいつに勝つまでは出ない。」と書いてある。いつのまにか僕の酔いは醒めていたが、油断は禁物だ。こうなったら勝負は何ラウンドまで続くかさえも分からないのだ。相当厳しい戦いになることだろう。もう砂時計なんてひっくり返す必要もないし、小細工なんて使わない。真っ向からのガチンコ勝負をするのだ。僕は自分の限界を超えて我慢した。おっさんもかなり辛そうだ。もちろん僕も相当辛かった。ここの銭湯の水風呂は特に狭くて、ひとり以上ではとても入れない。つまり引き分けはないのだ。僕は覚悟を決めた。

よくもまあこれだけの量の汗が出るものだと、感心しながら僕はそっとサウナをあとにした。そして僕はゆっくりと水風呂に浸かった。そう、できるだけゆっくりと水風呂に浸かったのだ。僕に勝って、うれしそうな顔でサウナ室の扉からでてきたおっさんの顔が、水風呂にゆったりと浸かっている僕を見て瞬時に曇る。骨の髄まで熱を帯びて、すぐにでも水をかぶりたいというのに、その水風呂を独占されているのだ。僕ならきっと発狂してしまうだろう。










おっさんは、それっきり二度と僕に勝負を挑んではこなかった。






おわり。
  

袋のようなもの

いつも意地ばっかり張ってしまう僕だけど、昨日初めて心の底から素直に、本気で言うことができたんだ……「袋は要りません。」ってね。

そのスーパーマーケットへは、家から一番近いということもあるので、仕事帰りなんかによく行くことがあった。僕はいつもそこで苦い思いをしている。いつもいつもレジでの精算時に、「レジ袋は要りません。」と言ってしまうのだ。ちなみに僕は、いつもいっつも袋のようなものを持ち合わせてはいない。僕はとっても忘れっぽいのだ。「レジ袋はご入用ですか?」とレジ係のおばちゃんに聞かれてから、「しまった。何か持ってくるんだった。」と思いながらも、反射的に「要りません。」と答えてしまっている。ちなみのちなみに僕はケチではない。例えば、いくら中身が同じで、いくら安かろうとも、プライベートブランド商品よりもナショナルブランド商品を買おうとするくらいに、僕はケチではない。そう、そんな礼儀知らずなことは、やってはいけないのだ。

そして僕は、レジ袋ごときに2円を払うのだけは、何かに負けた気がしてとても嫌なのだ。そもそも「エコ」という名の元に行われる取り組みの裏には、胡散臭い臭いがプンプンするではないか。特定の企業や日本なんたらリサイクル協会、延いては政治家たちの利権の臭いがプンプンするのだ。だからそんなことには1円たりとも払いたくない。エコバッグなんて絶対に買わないし、ペットボトルのキャップも集めないし、割り箸を置いてないラーメン屋には行かない決意なのだ。僕はゴミを減らすために、レジ袋を断るのではなく、ごまかしやまやかしにお金を払いたくないから、レジ袋を断るのだ。



話が少しそれたが、そんな僕はいつもレジ袋を断ったあとに、レジを出たところのテーブルに置いてある、ロール式の薄ーいビニール袋に、無理やりビールやお菓子などを詰め込んでからすごすご帰っていくのだ。実はこれはこれで、なんだかちょっと恥ずかしい。周りから見て、何を買ったのか一目瞭然だし、小さなビニール袋に、買ったものを無理やり詰め込むため、チョコパイやエリーゼの箱の角なんかで、薄い袋が破れてしまうこともあるのだ。これはほんとだいぶ恥ずかしい。なのに忘れっぽい僕は、何か袋のようなものを持っていくのを忘れてしまうのだ。こういうときのために車やカバンの中には、レジ袋や小バックをまとめて入れているというのに、それらを店内に持って入るのを忘れてしまうのだ。そして買い物をしているとき、チョコパイやエリーゼを買うと、袋が破れてしまうかもしれないということも忘れてカートに放り込んでしまっているのだ。だって僕は、チョコパイやエリーゼが大好きなのだから。


そして僕は忘れる……人の名前も、観た映画の内容も、自分にとって都合の悪いことも、過去の過ちも、小学校2年生のときに友達から借りたままの『21エモン』第1巻のことも、僕はすっかり忘れてしまっているのだ。いや、『21エモン』のことは、なぜだか奇跡的に覚えてたわ……ごめんよ小川くん。


そんな僕が昨日、初めてレジ袋をあらかじめ準備してから、そのスーパーマーケットへ行った。昨日の昼、子供達にマルタイの棒ラーメンを作ってやるつもりで家を出る寸前、なぜだかふと袋のことを思い出したのだ。僕はマルタイの棒ラーメンもたまらなく好きなのだ。

スーパーマーケットで、ラーメンに入れる具を選びながら、ときどきポケットにそっと手を入れ、指先にその存在を確かめ、僕は軽快に店内を回った。レジのおばちゃんには、いつも意地ばっかり張ってしまう僕だけど、初めて心の底から素直に、そして本気で言うことができた。






「袋は要りません。」






帰り道、ヨレヨレのレジ袋から突き出た白ネギが、誇らしげに袋の中から凛として立ち上がっていた。白ネギは、台所で細く刻まれ、そっとラーメンに添えられた。








ふと窓の外を見ると、僕の住む町に粉雪が舞っていた。













謹賀新年。















……ちょ、ちょっと待て!

よくよく考えてみれば、棒ラーメン、豚バラ肉、白ネギは、別にあの薄いビニール袋だったとしても問題なく入ってたよな。新年早々、何をいい思い出仕立てにしようとしとんねん?





いや白ネギは無理か。なんせ凛としてるからなアイツときたら。








おわり






いや、おわりじゃねーよ。「凛として……」って言いたいだけじゃねーか。



もうええわっ!





言い訳

家のロフトに上がっていて、柱で足の小指をぶつけた。

翌日起きたら、指が真紫色に腫れていた。

あんまり痛いので夕方、病院に行ったら、骨にヒビが入っていると言われた。




……とてもかっこ悪いので、こんな言い訳を考えてみた。





「実はオフロードバイクの練習中にちょっと……。」




いや、これは少し前に友人が、手の中指を骨折したときの理由だ。骨折よりも骨のヒビのほうが格下っぽいんだし、いくらなんでも同じ理由は不自然だ。もう少しマシな言い訳はないものか?








「実は雨に濡れたニャン子ちゃんの前にダンプカーが……。」









いやいや、昨日は雨降ってないからね。すぐにバレるやん。第一、まるっきり嘘っちゅうのもなぁ、良心の呵責がなぁ。もっとスマートな言い訳はないのか?











ハッ!!






これは行けるぞ……





「実は柱で足の小指をぶつけちゃってさー。そしたら、向こうから牛がやってきてね。ふと気がつくとヒラヒラと蝶々が飛んでいるのよ。



牛がモ〜〜、蝶々がヒラヒラ〜〜。



モ〜〜〜〜、ちょうちょ。





モ〜〜〜〜〜〜〜〜、ちょう……。





さーて、僕の怪我の原因は何だったでしょうか?」











よし行けるっ!