グリコ

じゃんけんして勝ったほうが階段を上ることができる遊びがあるじゃないですか?地域によってルールや呼び名は違うのかもしれないけど、私の育った地域では「じゃんけんグリコ」って呼んでたんですよね。あれ、小学生の頃、よく帰り道に歩道橋を使ってやったもんです。賭けるんですよ。負けたひとりが、全員のランドセルを持って帰らなければならなかったりしてね。それって結構盛り上がるんですよ。


それでね。こないだひさしぶりに、あのゲームをやったんです。6歳になる娘と2人で。たまたま目の前に階段があったからね。娘は最近、幼稚園でルールを覚えてきたばかりらしく、すごく楽しそうにしていました。



私、昔から思ってたんですけど、あのゲームってなんかルールがイマイチなんですよね。チョキだと「ちよこれいと」で6歩進め、パーで「ぱいなつぷる」の同じく6歩進めます。で、グーだと「ぐりこ」の3歩しか進めないんですよね。僕がイマイチだと思うのはグーの3歩に対して、チョキとパーが、どっちで勝っても6歩も進めるということ。なんとなく不公平なゲームだなぁと子供心に思ってたんです。で、大人になってからいいことを思いつきました。どうせならパーを「パパイヤ」とかにすればグーで3歩、パーで4歩、チョキで6歩となり、グーの3歩が目立たなくなると思いませんか?


まぁでも、そんなことは別に常日頃から、強く思っていたわけではないので、娘に私が考えた新しいルールを提案することもなく、その日は楽しくやりましたよ「じゃんけんグリコ」をね。でね、昔からの癖で、私はチョキとパーしか出さなかったのですよ。だって、グーで勝ってもうれしくないじゃないですか?進めるのは、たったの3歩ですよ?だから出すのはチョキとパーです。6歩狙いです。子供が相手でも手は抜きません。



「ち・よ・こ・れ・い・と」と娘が進めば、「ぱ・い・な・つ・ぷ・る」と私が進む。前半は結構いい勝負でした。娘ったら、手グセでチョキ出すことが多いんですよね。そういうのって子供ならではの行動で、無邪気でかわいいですよね。でも私はグーなんて出しません。何度も言いますが、グーで勝って3歩だけ進んでもうれしくもなんともないですもん。



驚いたのは、私がチョキを出して負けたときです。つまり、娘がグーを出して勝ったときのこと。そこで、私の身体に衝撃が走りましたね。じゃんけんに勝ってうれしそうに娘が、言い放った言葉はなんと……



























「ぐ・み♡」










ズコーーーッ!!







2歩てっ!
















それにしても2歩だけ進んだときの娘の笑顔の眩しさったらなかったな。私は、それまで自分のとっていた行動を思い出して、すっかり恥ずかしくなってしまったのでした。









グーはグミ。







それがこのごろのルールだそうです。娘がもう少し大きくなったときに、この遊びの不公平さに疑問をもつ日が、きっとくることでしょう。しかし、得てして世の中とはそんなものなのかもしれません。格差社会の影は、こんなところにも忍び寄っていたのでした。


おわり。

クリスマスの思い出

毎年、クリスマスが近づくと思い出すことがある。

それは、まだ僕がサンタクロースの存在を信じて疑いもしなかったころのこと。ふと僕は不思議に思ったことがあった。うちには煙突がないのに、毎年どうやってサンタさんはプレゼントを届けてくれているのだろうか?サンタさんは、皆が寝静まったころ、煙突からそっと入ってくるはずだ・・・。

この謎に答えてくれたのは母だ。「え?あるで?」僕はますます不思議に思った。うちに煙突なんてあっただろうか?「あるやん。勝手口出て倉庫の裏に回って、見てきてみ?」僕はすぐさま倉庫の裏へ走った。うちと隣りの家を仕切るブロック塀の間に積み上げてある材木や瓦などを避けながら、奥へ進むと、なんとそこには煙突があった。そんなこと今まで全然知らなかった。その煙突は僕が思った煙突とはイメージがずいぶん違っていたが、とにかく煙突には間違いない。しかし、いったいこの煙突は、どの部屋から伸びているのだろうと考え、すぐそれに思い当った僕は愕然とした。

こんなとこから入ったらサンタさんウンコまみれやん・・・。

まだ汲み取り式のぼっとん便所が主流だったころの思い出だが、今となって考えてみると、いったい母が子供の夢を守りたかったのか、それとも壊したかったのか、いまいちよくわからないのである。いや、きっと母に悪気はなかっただろう。煙突がないのに、毎年サンタがやってくることを子供に突っ込まれ、とっさにそう答えてしまったのだろうと思う。でも、そのときの僕は想像してしまったんだ。ぼっとん便所の便器の中から、白ひげのサンタさんがニョッと首を出す姿を・・・。

倉庫の裏の湿り気の多い空間に、しばらく僕は立ち尽くしていた。小さな空に向けて地面から生えている煙突のてっぺんで、換気用のファンが回っている。カラカラカラカラ・・・。その音が、とにかく切なかったのを思い出す。

絵本

今日はいつもと少し趣向を変えて、うちにあるたくさん絵本の中から、ツッコミどころ満載な絵本をいくつか紹介したいと思います。

まずは『バイバイベイビー』ジャネットアラン・アルバーグ 作/佐野洋子 訳[文化出版局]から……

ある小さな家に、なぜかひとりっきりで住んでいる赤ちゃんが主人公です。この赤ちゃんが、ある日思い立ってお母さんを探す旅に出るところから物語は始まります。


赤ちゃんは、あちこちで出会う猫やクマくんやゼンマイ仕掛けのニワトリに、「きみ、ぼくのおかあさんになる?」と聞きますが、それらの動物たちがお母さんになれるはずがありません。

赤ちゃんはそれらの動物たちを連れて旅を続けるうちに、公園のベンチに座って本を読むおじいさんに出会います。そのおじいさんに向かっても赤ちゃんは、「おじいさん、ぼくのおかあさんになる?」と、聞きます。おじいさんはもちろん断りますが、「きみのおじいさんになってあげよう。」と言って一緒にお母さんを探す旅に着いて来てくれることになります。

おじいさんが加わって、心強い旅になるかと思いきや、赤ちゃんが転んだことをきっかけに、くまくんも転び、2人はニワトリの上に倒れ込み、みんなを助けようとしたおじいさんは猫の尻尾を踏んづけてしまいます。おまけに雨まで降り出し、ついに赤ちゃんは泣き出してしまいます。

「おかあさ〜ん!」









その時、道を曲がって現れたのがこの人。






















空っぽの乳母車を押した女の人!!




こ、こわっ!これは怖すぎるやろ!!おまけに「だれか、わたしのことよんだ?」だってさ。おお怖っっっ!!

この女の人、続けて「まあ、なんてことかしら。わたし、ちっちゃいあかちゃんがいないおかあさんなの。」と言うじゃないか!!

アカンアカン!!近づいたらアカンタイプの人間やで、この雰囲気はっ!!

とツッコム読者の気持ちは置いてけぼりのまま、赤ちゃんはさっさと女の人をお母さんにして、もといた小さな家に帰ってみんなで家族になります。

それからなんだかんだで、お父さんまで見つかって絵本としてはハッピーエンドなんですが……ごくり。いったいその後、物語はどうなったんでしょうね?なんだか事件の匂いがプンプンしますもんね。読み終わった後も複雑な気持ちでいっぱいです。




さて、次に紹介したいのがこれ。

『おおきなかぶ』

絵本としては定番中の定番で、ほとんどの人がよく知っている話だと思いますが、もともとはロシア民話なんですね。いろんな人が絵本にしているのですが、今回僕が紹介したいのは、内田莉莎子さん訳、佐藤忠良さん画の作品です。[福音館書店]

では、さっそく読みながら解説していきたいと思います。

?「おじいさんが かぶを うえました。『あまい あまい かぶになれ。おおきな おおきな かぶになれ』」

うんうん。まず絵のタッチがいいですよね。なんか日本人っぽくないタッチなんですよね。



?「あまい げんきのよい とてつもなく おおきいかぶが できました。」

おじいさんの喜ぶ姿がいいですねー。確実に「イェーイ!」って言ってるよねこれ。



?「おじいさんは かぶを ぬこうと しました。うんとこしょ どっこいしょ。ところが かぶは ぬけません。」

それにしても立派なカブですね。そりゃあ抜けませんわ。



?「おじいさんは おばあさんを よんできました。おばあさんが おじいさんを ひっぱって、おじいさんが かぶを ひっぱって、うんとこしょ どっこいしょ それでも かぶは ぬけません。」

おばあさん、食事の準備や洗濯してたかもしれないのにね。放り出して駆けつけてくれてますね。夫婦愛ですね。



?「おばあさんは まごを よんできました。」

いいですねー。おじいさん思いの可愛らしいお孫さんです。



?「まごが おばあさんを ひっぱって、おばあさんが おじいさんを ひっぱって、おじいさんが かぶを ひっぱって、うんとこしょ どっこいしょ まだ まだ かぶは ぬけません。」

顔を真っ赤にした孫の懸命な姿が泣けます。



?「まごは いぬを よんできました。」

凹むおじいさんを慰めているのでしょうか。優しいおばあさんです。



?「いぬが まごを ひっぱって、まごが おばあさんを ひっぱって、おばあさんが おじいさんを ひっぱって、おじいさんが かぶを ひっぱって、うんとこしょ どっこいしょ、まだ まだ まだ まだ ぬけません。」












うおいっ!コラじいさんいい加減にしろいっ!お前さっきからカブを踏んづけてんだろうがよっ!!なかなか抜けねえのはお前のせいなんだってば!!

俺最初からずっーと見てたよ。いいか?!その足を今すぐカブからどけろっ!!うんとこしょ どっこいしょ。じゃねえよっ!!ただのじいさんの悪ふざけに家族と犬や猫、ネズミまで付き合わされただけじゃねえかっ!!



最初の方は、カブにちょっとだけつま先を引っ掛けてる程度だったのが、引っ張る人数がどんどん増えてきたもんで、最終的にはじいさんの全体重載せちゃってるからね。



ったく。






おわり

迷ったら……

「おおきくなったねぇ……男の子でしたっけ?」

違っていた……その女性が連れている赤ちゃんは、女の子だった。どうせ間違えるのなら「女の子?」と言うほうが、無難だということに、その女性の寂しそうな横顔を見てから思い至った。だって、女の子に「男の子?」と言うと気にするだろうけど、もしも男の子に「女の子?」と言ってもそんなに悪い気はしないだろう。そもそも8ヶ月の赤ちゃんなんて、見分けがつきにくいもんだ。これからは「迷ったら女」だ。

その女性との別れ際、僕は聞いた。

「そう言えば、おじいちゃん大変でしたね?入院してるのは近くの病院ですか?」

またやってしまった……入院していたのは、おばあちゃんだった。その女性は、またかよと言わんばかりの顔をしながらも優しく訂正してくれた。そうなんだ。おばあちゃんに「おじいちゃん?」と言うと気にするだろうけど、おじいちゃんに「おばあちゃん?」と言ってもそんなに悪い気はしないだろう。これからは「迷ったらおばあちゃん」……….な、わけあるかーーいっ!!これなんの話しやねんっ!!

Wソーダ

僕らが住む日ノ出町は、私鉄電車の線路沿いに細長く伸びた町で、家々のすぐ裏には線路が走っていた。生まれたときからこの環境で育った僕らは、電車の走り抜ける音には慣れっこだったが、初めて家に遊びに来た友達は、必ずその音に驚いた。中には「地震だーっ!」なんて叫んで、部屋を飛び出した同級生もいたな。

これは僕らが、小学校2年生か3年生くらいのときの話。僕らというのは、僕と双子の兄とのことだ。

ある日、僕らふたりだけで、何駅か電車に乗って家に帰るということがあった。いったい何の用事で出かけていたのかは、忘れてしまったが、僕らの住んでいる家から駅まで、歩いて3分という便利さから、時々そうやって電車で出かけることがあったのだ。僕らにとって、子供だけで切符を買うのも改札口をくぐるのも手慣れたもので、当時はまだ自動改札なんてなかったので、駅員さんに切符を渡してから改札をくぐることに、なんだか少しだけ誇らしいような気分がしたものだった。

さて、いつものように切符を買い、改札をくぐり抜けた僕らは、姫路行きのホームへ抜ける階段で、“ じゃんけんグリコ ” をしながら遊んだ。天井から所々、雨水(いや地下水なのだろうか?)が漏ってきているコンクリート剥き出しの地下道に「ちよこれいと」という声が大きく不気味に響いた。僕が3歩しか進めないグーよりも、5歩も進めるパーやチョキを好んで出していたことに、途中から気づいた兄が勝ち越していた。最後は結局ルールを無視して、大きく差を開けられて悔しくなった僕が走り出したため、僕らの大きな笑い声が地下道から駅のホームへ駆け抜けた。

ホームへついた僕は、手のひらに違和感を感じた。手のひらの中には、切符とおつりが握りしめられたままだ。どうもいつもより、手のひらの中のお釣りの様子が違うのだ。見ると汗ばんだ手のひらの中で、1枚のピカピカの10円玉が太陽を浴びて光っている。おや?と思いながら切符をしげしげと眺めてから、自分のやってしまった誤ちに気がついた。70円分の切符を買ったつもりが90円分の切符を買ってしまっていたのだ。つまり、降りるつもりの荒井駅のふたつ向こうの曽根駅までの切符を買ってしまったようだ。

僕の心臓はドキドキしていた。ひとしきり大はしゃぎしながらホームまで来てから自分の失敗に気づき、その時にはタイミング良く肌色のボディの普通電車がホームに滑り込んで来ていたため、手のひらと額に汗をかきながらそのまま電車に乗り込んでしまった。しばらく無言になってうつむいている僕に気づき、双子の兄が話しかけてきた。

「どうしたん?」

僕は、カクカクシカジカ自分の置かれた状況を一生懸命説明した。そして、僕らがケンケンガクガク取るべき行動を議論して、取った行動はこうだ。

兄は、いつも通りに買った切符で、自分たちの家の最寄駅である荒井駅で降り、家へ向かう。僕は、間違えて買ってしまった切符の額面通り、ふたつ向こうの曽根駅まで行ってから、歩いて家へ向かう。

僕らは、切符の額面通りにしか電車に乗ってはいけないと思い込んでいたのだ。とても真面目だった。

僕は仕方なく、降りたくもない曽根駅の改札をくぐった。悪いことは決してしていないのに、なぜだか改札では駅員さんに怒られるような気がして、ビクビクしながら切符を渡したのだった。

歩き慣れない線路沿いの道を東へひとりで歩きながら、不安な心を誤魔化すかのように覚えたての口笛を吹いてみたが、ちっともうまく吹けなかった。自分の犯してしまった過ちに、悔いても悔い切れない気持ちが溢れてくる。母からもらった100円のうち、切符を買った残りのお金は好きに使ってもいいと言われていたのだ。僕らは残った30円を使って、近所の駄菓子屋へ行くつもりにしていた。当時大好きだったWソーダというアイスクリームを食べるつもりだったのに……僕は、券売機で間違ったボタンを押してしまったときの指の感触を思い出して、もう一度あの直前に戻ることができたらいいのにと、真剣に時間を戻す方法について考えながら歩いていった。

それにしても遅いな……と思いながら、足元の小石を蹴った。小石は明後日の方向へ飛んでいき、道路の側溝にポチャンと落ちた。背中から強い西陽が射して、僕の影が長く伸びる。その伸びた影の先の先の方から、不意に鋭い金属音がした。

「チリンチリンチリーン」

見ると、前方から双子の兄が自転車に乗ってやってくる。そう、実は僕らが電車の中で考えた計画には、続きがあったのだ。兄は、家で自転車に乗り換え、曽根駅の方面へ弟を迎えに行く。僕は、曽根駅と荒井駅の中間あたりで兄に出会い、自転車の後ろに乗せてもらう。という計画だ。その計画のどこにもほころびは無いと思っていたし、小さかった僕らにとっては大きなミッションをこなしたという充実感で、いっぱいだった。

家に帰ると、さきほどひとりで家に帰った兄からすでに話を聞いて、僕らの帰りを待ち構えていた父が、図に描いて説明してくれた。

「買った区間の手前の駅やったら、どこで降りてもええねんで?」

僕らは、うんうん。うんうん。と頷きながらWソーダをシャクシャク食べていた。10円しか残っていない僕のことを不憫に思った兄が、買ってから半分分けてくれたものだった。


靴屋

靴を買いに来たんだ。職場で履くための靴だから、別にどんなのだっていいんだ。いや、正確には違うな……どんなのだってよくはないよな。職場の中で履くだけの靴なので、普段履きにする靴を買いに行くときほど、気合を入れて買うつもりはない。なるべくデザインがシンプルで、履きやすい物なら、どんなのだっていいという意味だ。こだわりがあるようでない。ないようであるんだ。要するに、僕は金も時間もかける気はないんだ。おっと、革靴じゃないんだ。スニーカーでいいんだ。実は僕は、そこそこお堅い仕事についているのだが、職場内は足元に関しては、そこそこ緩いんだ。

そして今日、僕は靴を買いに来たんだ。会社帰りに、ある靴屋へ寄った。そうだな、仮にその靴屋を123ストアとしよう。実は僕は、その123ストアに行くのには、あまり気が乗らなかったんだ。なぜなら以前、息子の運動靴を買いに行った時、ある女性店員の対応があまり良くなかったからだ。その対応にイラッとした。もう二度とその女性店員から物は買いたくないなというくらいイラッとしたんだ。僕はあまり気が乗らなかったけど、123ストアは大手チェーン店で、このへんでは割りと品揃えが多いほうなんだ。また職場からの帰り道にあって行きやすいということで、仕方なく行ったんだ。その女性店員を避けて、他の店員から買えばいいやとも思ったんだ。とにかく今、僕が職場で履いている靴のつま先には穴が開いてしまっているようで、雨降りだった今日、ちょっとした水たまりを踏んだだけで靴下が濡れてしまっていたんだ。そういや、この靴は1年以上履いているな。うん。満を持して僕は靴を買うんだ。

夕方になり、ようやく雨は上がっていたが、台風の影響で、低く垂れ込めた雲はたっぷりと湿った空気を近畿地方にもたらしていた。天気予報によれば、夜半過ぎから再び雨が降り出すようだ。駐車場に車を停めた僕は、水たまりを踏まないように気をつけながら歩いたんだ。

123ストアに入った瞬間、しまったと僕は思ったんだ。木曜日の夕方だからなのだろうか、店内には店員がひとりしかいなかった。こともあろうに、例の女性店員がたったのひとりだ。今日、僕はご機嫌がいいので、あまりイラッとしたくはないんだ。僕はとりあえず、靴を選んでしまおうと思いながら、店内をぐるりと回った。そのうち、違う店員がやってくるかもしれないしな。その気に入らない女性店員には、声をかけられないように、気をつけながら店内を回るんだ。視線の端っこには、常にその女性店員を意識する。近づいて来そうになったら、すかさず別のコーナーへ移る。この123ストアの店員ってやつは、じきに声をかけてきやがるんだから、まったく油断も隙も見せられないんだ。サイズを出して欲しけりゃ、自分から声をかけるから、放っておいてほしいんだ。何より、その女性店員にだけは、関わりたくない。ある元凄腕営業マンがやっているメルマガでも、確か前にそんなこと書いていたぞ。何を買うかというよりも、誰から買うのか?……とかなんとか?ちょっとニュアンスが違ってるのかもしれないが、まぁだいたいそんな感じでいいだろう。

とにかく僕は、素早く何足かの靴に目星をつけた。あとはサイズ合わせだ。まだ、店内にはあの女性店員がひとりいるだけだ。僕は、早く家に帰って、やりたいことがあったので、急速に面倒臭くなってきた。そう、僕は今日中にオフロードバイクのチェーンを清掃して、油を差しておきたいんだ。つまり、靴を買うことなんてどうでも良くなってきたんだ。しかし、数日間続くであろう雨の予報なのに、このまま穴の開いた靴を履き続けるのはゴメンだし、また日を改めて靴を買いに行くのも、またまたこれからわざわざ違う店に行くのもゴメンだ。僕は面倒臭さに負けた。その女性店員に声を掛けたんだ。苦渋の決断だ。きっとその時の僕は、ずいぶんと苦々しい表情をしていたことだろうな。

出して欲しいサイズは26?だ。靴を手に取ったまま動きを止めた僕に、その女性店員がゆっくり近づいて来た。僕は目も見ずに、「これとこれの26?をそれぞれ出してもらえますか?」とだけ早口で伝えてから、近くの椅子に腰かけた。その椅子は、少しクッションが良すぎて、身体が深く沈み込んでしまうので、非常に靴が脱ぎにくかったが、まぁ今はそれくらいは我慢しよう。僕の想いは、頼むから今日は気分良く買い物させてくれ。ということだけだ。いや、気分の良いおもてなしなど、別に望んではいないんだ。普通でいい普通で。僕はそう思うと同時に、もしもまたこの女性店員が、失礼な接客をしてきた日には、ズバリと文句言ってやろうとも思っていたんだ。今日という今日は言わせてもらおう。と、心の中で決めたとたん、急速に僕の中にはメラメラとした使命感のようなものが湧いてきたんだ。きっとあの女性店員の接客態度に、イラついている客は、他にも多数いるはずだ。現にさっき僕が、話しかけたときにもニコリともせず、そのまま靴を取りに行く態度もいかにも気怠そうに見えたんだ。値段か?値段なのか?そのコーナーの中で、一番安い靴を僕が買おうとしているから、やる気が出ないのか?いよいよ、これは言わないといけない時がやってきたようだ。これは誰かが言わなきゃならないことなんだ。できるだけ感情的にならず、冷静になって指摘してやろう。さあ、かかってこ……ごくり。


僕は、その音をその女性店員に聞かれたんじゃないかと思って、心拍数が上がったんだ。でも、心拍数が上がった本当の原因は別にある。靴の入った箱を抱えて戻って来たその女性店員が屈みこんで、靴に紐を通し始めたんだ。女性店員は、ヒラヒラした白いブラウスを着ていた。僕がすっかり釘付けになってしまったのは、その胸元だ。色白でぽっちゃりしたその女性店員の胸元から、モチモチした柔らかそうな2つの物体が溢れそうになっていたんだ。靴紐を通し終わったその女性店員は、相変わらず気怠そうに僕の前に靴を差し出した。僕は、動揺を見せないようになるべくゆっくりと靴を履いた。次に僕はこう言ってやったんだ。「これの26.5?はありますか?」その女性店員は、積み上げられた箱の中からひとつ選んで持ってきたかと思うと、再び僕の側に屈みこんで、靴紐を通し始めたんだ。その動作は緩慢で、まるで丁寧さも感じられなかった。さっきの靴なんて、靴紐の表裏が所々でひっくり返っていたんだ。なんとなく不快ではないか、そういうことって。おまけにその女性店員は、僕が靴を履いた後も何も言わない。ただそこにいるだけだ。あるじゃないか、よく靴屋の店員の言うような、「いかがなさいますか?」だとか「お似合いになりますよ?」だとかのそういうお決まりの言葉だ。しかし、その女性店員が発したのは「ふふん。」という言葉だ。いやこれは言葉なんかではない。いくらなんでもそりゃないだろう。どうせ僕が、価格の安い方の靴を買うだろうと思ってバカにしているのか?それに対する「ふふん。」なのか?

そして相変わらず、屈みこんで靴紐を結んでいる女性店員のブラウスの胸元は無防備だった。僕はしばし目が離せなくなる。靴紐の先端が最後の靴穴を通り終わる寸前に、僕はさりげなく視線を外しておいた。目の前に差し出された靴に、足を通してから僕は店内を少し歩いてみたんだ。そして、すかさず僕は、こう言ってやったんだ。「すみませんけど、こっちの方の靴の26.5?を出してもらってもいいですか?」その女性店員は、またまたニコリともせずに一連の動作を繰り返したんだ。

屈み込む女性店員。目線を落とす僕。靴を差し出す女性店員。靴を履く僕。「何回も悪いけど、そっちの27?ってありますか?」と聞く僕。また気怠そうに、靴の入った箱を探して持ってくる女性店員。屈み込む女性店員。携帯電話を触りながら、さりげなさを装う僕。靴を差し出す女性店員と靴を履く僕。「これの黒色を履いてみたいんですが、出してもらってもいいですか?」と僕。「ふふん。」と言ってから、別の靴の入った箱を持ってくる女性店員。屈み込む女性店員の胸元を凝視する僕。靴を差し出す女性店員と、慌てて目をそらす僕。靴を履く僕…………そして、ついに僕は、こう言ってやったんだ。






















「この靴ください。」







ってね。









おしまい。

塩ラーメン

2年に一度受けなければならない某資格者の講習会があり、神戸の灘区へやってきた。前日、同僚に講習会が行われる場所を聞かれ、「あぁ、あそこいくなら◯◯◯っていう塩ラーメン屋に行きや!」と言われていた。同僚は、わざわざそのラーメンを食べるためだけに、その駅で降りるらしい。ときには並ぶこともあるという。

僕は、混んでいる店に行くくらいなら、コンビニで済ます方がマシだという性分なのだが、午前の部が11時半と比較的早い時間に終わったので、コレ幸いとそのラーメン屋に行ってみることにした。

そうだ。たまには食レポをしてみるのもいいかもしれない。

などと考えながら、混み合った講習会の会場の人混みをかき分け、人だかりができているエレベーターを避けて、非常階段を使う。トイレを済ませとこうと、2階で用を足し……と、玄関前から駅へ続く道には、すでに人があふれていた。小雨も降っていたせいか、心なしか皆んな早歩きだ。僕は、焦る気持ちを抑えきれなくなってきた。

そう。僕は、そこにいる(僕の前を歩いている)人が全員、同じラーメン屋を目指しているように思えてきたのだ。必然的に僕の歩くスピードも上がる。休憩時間は1時間あるとはいえ、これだけの人が殺到すれば、たちまち行列ができてしまうだろう。くそ。みんなやっぱりよく調べてるなぁ。暑かった夏も過ぎ、半袖一枚だけじゃ肌寒くなってきたこんな気候の日には、そりゃあもう美味いに決まってるだろうなぁ塩ラーメン。

駅の高架をくぐり抜ける頃、僕にはもう周りにいる全員が敵にしか見えなかった。次々と敵たちを追い越し、半ば小走りで進む。僕の脇と背中には汗が滲んでいる。しかし、今はそんなことはどうでもよかった。塩ラーメン。塩ラーメン。塩ラーメン。僕の頭の中には、塩ラーメンのことしかなかった。

ラーメン屋の手前の国道交差点の信号でひっかかってしまい、イライラしながら、目の前を走り抜ける車たちを睨みつけた。ふと、周りを見回すと誰もいないではないか。かつての敵たちはどうやら、ただの僕の思い込みだったようだ。信号が青になるまでに息を整えた僕は、交差点を渡り、折りたたみ傘をたたみ、先客がひとりしかいない店内に入り、塩ラーメンを啜ったのであった。










え?





食レポ?






あわてんなってー!







少しだけ時間を戻すね。






折りたたみ傘をたたんでから、先客がひとりしかいない店内に入り、カウンター席の一番奥に座り、塩ラーメンを注文し、水を一口飲んでから、このブログの前半部分をiphoneのメモ帳に書き付けていた僕の前に、いよいよ塩ラーメンがやってきた。






一口啜るなり、僕は心の中でこう叫んだ。















「うまっ!!」







おしまい。