精神的外傷

痛みは突然やってきた。今日職場で、外の倉庫に向かう途中、僕はとっさに左足に履いていた靴を脱ぎ捨てた。あまりの激痛に、てっきり釘でも踏み抜いたものと思ったのだが、僕の左足の親指の先にはムカデがガブリとかぶりついていた。ちょうど小指2本分を足したくらいの長さで太さのやつだ。

実は僕の職場には、ムカデがちょくちょく出る。不可解なのは、ムカデはいつから僕の靴の中にいたのか?ということだ。僕は、職場で履く靴を更衣室に置いていて、毎朝夕に履き替えている。ムカデは、夜の間にこっそり靴の中に潜んでいたのだろうか?いやいや、もしもムカデが靴の中に潜んでいたのなら、靴に足を入れた時点で噛まれていただろう。僕がムカデに噛まれたのは、今日の午前10時頃だ。2時間近くも靴の中でムカデが、ただジッとしているなんてことが考えられるだろうか?違和感もなかった。かと言って、今日の僕は、朝礼が終わってからずっと忙しく動き回っていたので、どこかでムカデが取り付いて(しかも靴の中の奥の奥にまで潜り込んで)きたとは、にわかには考えにくいのだ。やはり、ムカデはずっーと僕の靴の中に潜んでいたのだろうか?

ああ考えれば考えるほどゾッとする。もう靴を職場に置きっぱなしにするのは絶対にやめよ……





















ああーーーっ!今日も靴置いて帰ってきてもうたたたっっっ(泣)



授業参観

声はデカいし、やたらオーバーリアクションだ。何といっても全てにおいて芝居じみているのだ。キャラを作り込みすぎていて、見ていてしんどい。





その日は娘の授業参観日だった。一年生になったばかりの眩しい娘を学校で見れるのはうれしいものだ。僕は、ホームセンターで買ってきたばかりの深緑色のスリッパを履いて、教室へ向かった。はりきって早めに家を出てきたので、まだ授業は始まっておらず、僕が教室へ入ると、担任の先生が子供達に混じってワイワイ話していた。

娘の横顔が見えるベストポジションをキープした僕は、感慨深くその横顔を眺めていた。僕が来ていることに気づいた娘が、小さく手を振ってくる。僕はニッコリしながら、大きく手を振り返した。

「はいはーい!みなさーん!授業が始まる前に先生の話を聞いてくださーい。」

教室にいる保護者たちの濃度が強まってきたころ、先生が教卓に立って子供達に話しかけた。その女性の先生は、50前くらいだろうか。セミロングのストレートヘアに銀縁の眼鏡をかけていて、まさに「ザ・先生」といういでたちだった。そして、子供達に話しかけるときは、一音ずつゆっくりしっかりと発音した。

「今日はとても暑いので、上着を脱いでもいいですよ。脱いだ上着は、椅子にキチンと掛けておきましょう。でもね。授業中に、何度も上着を脱いだり着たりするのはやめましょう。暑い寒いを感じれるのは人間だけやねんで!知ってた?」

僕の娘を観察していると、すでに椅子に掛けてある上着を気にしている。娘はしばらく迷ったあとに、授業中は上着を着ないと決めたようだ。前から二列目に座った窓際の娘はとても小さくてかわいかった。

「みんなー!参観日やからって緊張してる?いつも通りでええねんでー!!緊張するのも人間だけっ!!

それにしても声のデカい先生だ。言いまわしもいちいちセリフっぽい。いつもこんな調子なのか?それとも父兄の前だから、気負っているのだろうか?僕が訝しんでいると、授業の始まるチャイムが鳴ったので、僕は時計を確認した。45分授業の間に、次男のいる4年生のクラスにもいかなければならないため、9時05分頃になったら今いる娘のクラスを離れなければならないな。

ふと気づくと、先生が手にタンバリンを持って、教壇に立っていた。あれ?算数の授業だと聞いていたのに、音楽になのかな?と思ったとき、先生がゆっくりと大きな声を放った。

「ブロックを机の上に出して!」

さっきまでガヤガヤしていた子供達の間に、急に緊張感が走る。子供達は机の中からブロックを取り出し、机の上に並べ出した。ブロックとは 、麻雀牌くらいの大きさで表が青色、裏面に赤色の丸いシールが貼ってある教材で、入学したときに “ おはじき ” と一緒に購入させられたわけのわからない物のひとつだ。




「セット!」




という先生の号令で、子供達はサササッと10個のブロックの青色を表にして、横一列に並べ始めた。



「セット!!」



もたついている子供に向かって、先生が鋭く声を放つ。そうして、全員の準備が整ったことを確認した先生は、まっすぐ正面を見据えたままタンバリンを叩く。


パンッパンッパンッ


子供達は、机の上に並べたブロックを必死にひっくり返している。僕のすぐ目の前に座っている子の手元を見てみると、10あるブロックのうち3つをひっくり返している。赤色のブロックが3つ、青色のブロックが7つという具合に……どうやら、先生の叩いたタンバリンの数だけ、ブロックをひっくり返す授業のようだ。ある意味本番でもある今日までに、何度も練習してきたのだろう。もたつく子もいるが、教室には一体感がある。先生の叩いた音の数だけ、うまくひっくり返すことができて、安堵感が広がる教室に、容赦なく先生の声が響き渡る。




「セット!!」




子供達は慌ててブロックをひっくり返して、青色の面だけが表になるように戻していく。僕の目の前に座っている子は、少し違うことを考えているようで、ブロックのひとつをゆっくり眺めていた。




「セット!!!」




すかさず、先生のヒステリックな声が飛んできた。その子は、ハッと我に返ってからすべてのブロックを元に戻した。少しの間をおいて、先生がタンバリンを叩く。何度も。




パンッパンッパンッパンッパンッ







「セット!」







パンッパンッ







「セット!」










パンッパンッパンッパンッパンッパンッパンッパンッ









「セット!」









「セット!!」














「セット!!!」



















えーと、これはあれですか??




















犬の調教ですか?














先生、授業が始まる前にあれだけ「だって人間だもの」アピールしてましたやん?











先生の圧にヤラレたのと、娘が誰よりも手際よくブロックをひっくり返している姿を見て、なんともいたたまれなくなった僕は、45分授業の半分もジッと見ていることができず、教室を後にしたのであった。















おしまい

リベンジ

この頃、テレビ出演に、または林業従事に、そしてサーフィンや婚活の講師にヒッパリダコの我が(書くことの)師匠が教えてくれた “ ヨクヤキ ” を昨日初めてオーダーした。餃子の王将での話だ。

いや、正確には二度目のオーダーだ。二週間くらい前に行った駅前店で、「そうだ師匠が、前に言ってたあれ頼んでみよう!」と思いだしたのだ。しかし、その時は “ ヨクヤキ ” という単語がどうしても思い出せず、「しっかり焼いてください。」とオーダーしたのだった。その店の店員は、怪訝な顔をしてから厨房へ向かって声をはりあげた。

「イーガーコーテル!」

嫌な予感がした。それはいつもの感じと同じじゃないのかい?「イーガーコーテル」は、王将で餃子を一人前頼んだ時に、決まって店員が厨房へ向かって言うやつだ。つまり、「しっかり焼く」という大事なキーワードはそこには含まれていないということが、なんとなく僕にはわかった。

そしてやっぱり、出てきたのは普通の焼き加減の餃子だった。僕のオーダーに対して、怪訝な顔をしたその店員はきっと、「しっかり焼いてください。」と言った僕に、ムッとしていたに違いない。



「は?あんた何言ってんの?おれ仕事でやってんだからしっかり焼くに決まってんだろ!」



ってな、目つきだった。





それから二週間後、こないだとは違う店にやって来た僕は、同じ過ちは繰り返したくなかったので、「しっかり目に焼いてくださいね。」と店員さんに言った。


すると、店員さんは「ヘイ!ヨクヤキですねっ!」と笑顔で返してくれた。僕の思いが伝わり、とてもうれしかった。







しっかり覚えておこう。








“ ヨクヤキ ” 












まぁ実際のところ、口にするのはなんだか通ぶってるみたいで恥ずかしいから、今度からも「しっかり目に焼いてくださいね。」ってオーダーするけどね。


立ち漕ぎ

今年に入ってから、風邪をこじらせてしまったり、寒風吹きすさびすぎたりで、ついついサボってしまっていた自転車通勤……今日は久しぶりに乗りましたよ。トレーニングのためもあり、片道約10kmの道のりをすべて立ち漕ぎで行くのです。

やり始めたころよりも明らかに力強くなっている自分のペダリングによしよしと満足しながらも、やってるとどうしても納得いかないことがあるのです。

「立ち漕ぎ」というすざましいほどのダッシュ感が漂っているその見た目のわりには、マウンテンバイクのため、スピードがそれほど出ないのです。特に、家を出てから20分ほど漕いで、少しへばってきたあたりで、スーツを着たサラリーマンに軽々と抜かれてしまうことがよくあります。座り漕ぎのおっさんにだ。しかもママチャリだ。これはなんだか鼻で笑われながら抜かれたような気になってくる。 

「いやーぼくねー。隣町からずっーと立ち漕ぎで来てるんですよねー。」

続いて中学生女子にも簡単に抜かれる。

「いやいや。これはね。トレーニングのためにやっているのであってね。一番重たいギアでわざわざ負荷をかけてだね。」

またロードバイクに乗った若い衆には、呆気なくスイーーッと抜かれる。

「べ、別に?速く走るために乗ってないもんね?ていうか?そもそもが?タイヤが違うやん?こっちはゴリゴリのブロックタイヤやで?勝った気になるなら同じ条件で走ってくれるかな?」

このように、僕を抜かしていく全員を捕まえていちいち説明して回りたくなるのだ。面倒くさいので、いっそのことサドルを外してしまったほうがいいのではないかと思ってる。

でもきっと……

「あぁ、気の毒に……この人ったらサドル盗られたんだろうなぁ。」

と、抜かされる度に同情されるんだろうね。

おっちょこちょい

君は焼香の火を掴んだことあるかい?

そうあのお通夜やお葬式の終盤に行う焼香の火だ。
 
僕はある。

僕の目の前に立っていた喪主がギョッとしたのがわかった。

本当にギョッという声も聞こえたんだ。

砕かれたほうの線香をつまんでから、火のついたほうの線香へ入れるのが本式だ。

しかし僕はその日とても疲れていた。

職場から急な連絡を受け、山から帰ってきて、そのまま出席した上司の身内の通夜だったもんだから、半分以上ウツラウツラしていたんだ。

正直言って、一度も会ったことない人の通夜なんてなんの感情移入もできなかったんだ。

寝起きでフラフラと列に並び、僕は何も考えずに焼香の火のついたほうをつまんでしまっていた。

本当に聞こえたんだギョッという声が。

そうさ喪主のさ。

君は焼香の火を掴んだことあるかい?

僕はある。

やめたほうがいい。

とても熱いから。

グリコ

じゃんけんして勝ったほうが階段を上ることができる遊びがあるじゃないですか?地域によってルールや呼び名は違うのかもしれないけど、私の育った地域では「じゃんけんグリコ」って呼んでたんですよね。あれ、小学生の頃、よく帰り道に歩道橋を使ってやったもんです。賭けるんですよ。負けたひとりが、全員のランドセルを持って帰らなければならなかったりしてね。それって結構盛り上がるんですよ。


それでね。こないだひさしぶりに、あのゲームをやったんです。6歳になる娘と2人で。たまたま目の前に階段があったからね。娘は最近、幼稚園でルールを覚えてきたばかりらしく、すごく楽しそうにしていました。



私、昔から思ってたんですけど、あのゲームってなんかルールがイマイチなんですよね。チョキだと「ちよこれいと」で6歩進め、パーで「ぱいなつぷる」の同じく6歩進めます。で、グーだと「ぐりこ」の3歩しか進めないんですよね。僕がイマイチだと思うのはグーの3歩に対して、チョキとパーが、どっちで勝っても6歩も進めるということ。なんとなく不公平なゲームだなぁと子供心に思ってたんです。で、大人になってからいいことを思いつきました。どうせならパーを「パパイヤ」とかにすればグーで3歩、パーで4歩、チョキで6歩となり、グーの3歩が目立たなくなると思いませんか?


まぁでも、そんなことは別に常日頃から、強く思っていたわけではないので、娘に私が考えた新しいルールを提案することもなく、その日は楽しくやりましたよ「じゃんけんグリコ」をね。でね、昔からの癖で、私はチョキとパーしか出さなかったのですよ。だって、グーで勝ってもうれしくないじゃないですか?進めるのは、たったの3歩ですよ?だから出すのはチョキとパーです。6歩狙いです。子供が相手でも手は抜きません。



「ち・よ・こ・れ・い・と」と娘が進めば、「ぱ・い・な・つ・ぷ・る」と私が進む。前半は結構いい勝負でした。娘ったら、手グセでチョキ出すことが多いんですよね。そういうのって子供ならではの行動で、無邪気でかわいいですよね。でも私はグーなんて出しません。何度も言いますが、グーで勝って3歩だけ進んでもうれしくもなんともないですもん。



驚いたのは、私がチョキを出して負けたときです。つまり、娘がグーを出して勝ったときのこと。そこで、私の身体に衝撃が走りましたね。じゃんけんに勝ってうれしそうに娘が、言い放った言葉はなんと……



























「ぐ・み♡」










ズコーーーッ!!







2歩てっ!
















それにしても2歩だけ進んだときの娘の笑顔の眩しさったらなかったな。私は、それまで自分のとっていた行動を思い出して、すっかり恥ずかしくなってしまったのでした。









グーはグミ。







それがこのごろのルールだそうです。娘がもう少し大きくなったときに、この遊びの不公平さに疑問をもつ日が、きっとくることでしょう。しかし、得てして世の中とはそんなものなのかもしれません。格差社会の影は、こんなところにも忍び寄っていたのでした。


おわり。

クリスマスの思い出

毎年、クリスマスが近づくと思い出すことがある。

それは、まだ僕がサンタクロースの存在を信じて疑いもしなかったころのこと。ふと僕は不思議に思ったことがあった。うちには煙突がないのに、毎年どうやってサンタさんはプレゼントを届けてくれているのだろうか?サンタさんは、皆が寝静まったころ、煙突からそっと入ってくるはずだ・・・。

この謎に答えてくれたのは母だ。「え?あるで?」僕はますます不思議に思った。うちに煙突なんてあっただろうか?「あるやん。勝手口出て倉庫の裏に回って、見てきてみ?」僕はすぐさま倉庫の裏へ走った。うちと隣りの家を仕切るブロック塀の間に積み上げてある材木や瓦などを避けながら、奥へ進むと、なんとそこには煙突があった。そんなこと今まで全然知らなかった。その煙突は僕が思った煙突とはイメージがずいぶん違っていたが、とにかく煙突には間違いない。しかし、いったいこの煙突は、どの部屋から伸びているのだろうと考え、すぐそれに思い当った僕は愕然とした。

こんなとこから入ったらサンタさんウンコまみれやん・・・。

まだ汲み取り式のぼっとん便所が主流だったころの思い出だが、今となって考えてみると、いったい母が子供の夢を守りたかったのか、それとも壊したかったのか、いまいちよくわからないのである。いや、きっと母に悪気はなかっただろう。煙突がないのに、毎年サンタがやってくることを子供に突っ込まれ、とっさにそう答えてしまったのだろうと思う。でも、そのときの僕は想像してしまったんだ。ぼっとん便所の便器の中から、白ひげのサンタさんがニョッと首を出す姿を・・・。

倉庫の裏の湿り気の多い空間に、しばらく僕は立ち尽くしていた。小さな空に向けて地面から生えている煙突のてっぺんで、換気用のファンが回っている。カラカラカラカラ・・・。その音が、とにかく切なかったのを思い出す。