若気の至り

二十代の前半に、バックパッカーの真似事のようなことをやったことがある。放浪する若者達のバイブル『深夜特急』(沢木耕太郎・著)や放浪する若者達を取材した『アジアン・ジャパニーズ』(小林紀晴・著)などに感化されまくりだった僕は、やたらと生地の硬いリュックサックに荷物を詰め込んで日本を飛び出した。目指すは、バックパッカーの聖地(らしい)バンコクカオサン通りだ。

 

ドンムアン空港に降り立った僕は、バンコクの暑さと街中に溢れるエキゾチックな臭いに辟易としていた。少し前まで、北海道の初山別村という寒い寒いところで畜産業を手伝っていた僕は、その反動から南を目指したのだった。圧倒的な異国情緒の中に、ひとり立ち尽くす僕の背中は痛かった。なぜなら前述したように、僕はやたらと生地の硬いリュックサックを背負っていたからだ。これは明らかに失敗だった。はっきり言って移動するのも苦痛だ。なぜ、僕が寄りによってそんなリュックサックを持ってきたのか?それには理由があった。バックパッカーがリュックサックに本来求めるべく機能は、「背負いやすいこと」や「たくさん荷物が入ること」だったりするのだろう。しかし、僕が求めた機能は「頑丈さ」だったのだ。いかにもバックパッカーが持ってそうなかっこいいリュックサックも当時は所有していたというのに、僕はわざわざ米軍の払い下げの服やカバンなどが売っている店へ行って、そのやたらと生地の硬いリュックサックを購入したのだった。実は、出発前に読んだバンコクやインドの旅行記の中に、混み合ったバスで、リュックサックを鋭利な刃物で切り裂かれて財布を盗まれたという記述を見てしまったのだ。元来から疑り深い僕は、少々のことでは切り裂かれそうにないリュックサックを購入した。そして、バンコクに立った僕は猛烈に後悔していた。リュックサックの硬い部分が常に背中のある場所を圧迫しているし、荷物は出しにくいし、大きさの割にたいして荷物も入らないのだ。

 

ついつい前置きが長くなってしまった。リュックサックの話はこれくらいにしておこう。ごみごみしたカオサン通りには、僕のような日本人のバックパッカー達がたくさんいて、やたらと群れようとしているように見えた。おまけにタイ人はいつもお釣りを誤魔化そうとするし、現地の若者がフレンドリーに話しかけてきたかと思うと、最終的に僕を宝石売り場へ連れて行こうとしたり、市場で買った腕時計が即効で動かなくなったり、僕はそこにいるのにもやたらと生地の硬いリュックサックにも心底ウンザリしてしまったので、マレー鉄道に乗ってさらに南を目指すことにした。港から船に乗って着いたのは、マレー半島の東に位置するサムイ島という淡路島の半分くらいの大きさの島だ。今日の本題は、このサムイ島で起こった出来事だ。あまり人には話したくない類の話なのだけど、もう二十年以上が経過しているので、記憶が薄れてしまう前に整理しておくのもいいだろう。

 

サムイ島のビーチのすぐ側に並ぶバンガローを借りて、本を読むか、ビーチで過ごすか、スーパーカブを借りて島を探索するか、目をつぶってココナッツシェイクを飲むか、はたまたシンハービールを飲むかなどのいずれかのただただダラダラとした毎日を送っていた僕はある夜、南国の解放感から、人けのないビーチで若気の至りを吸っていた。その若気の至りは、バンガローに出入りしていたアフロの青年から勧められて買った物だ。波の音を聞きながらしばらく若気の至りの煙を吸ったり吐いたりしていると、僕の近くを淡い色のチェックのシャツを着た兄ちゃんがウロチョロしてきた。なんやこいつモーホーか?とか思っていると、ある瞬間に一気に僕との距離を詰めてきたのだ。あ!ヤバい!!と、直感的に感じた僕は、吸っていた若気の至りを波打ち際に投げた。しかし、それは思うような軌道を描かず、砂浜にストンと落ちてしまったのだった。兄ちゃんは、すかさずそれを拾い上げ、その匂いを嗅いでから僕に詰め寄ってきた。英語でまくし立ててきたのだけど、なんとなく理解したところ、その兄ちゃんは警察官だという。そして、今4,000バーツを払ったら見逃してやると言っているではないか。当時は1バーツが約4円だったので、4,000バーツとは16,000円くらいだ。お金があれば何でもできる国だという噂は聞いてはいたが、疑り深い僕の頭は違うところに向いていた。

 

果たしてこいつは本当に警察官なのだろうか?ただ、日本人の俺をカモにして小遣いを稼ごうとしているだけではないのか?俺は、カタコトの英語で兄ちゃんに、「じゃあ身分証を見せてみろ!」と言って詰め寄っていた。素直に賄賂の4,000バーツを差し出すほど僕は甘ちゃんではない。それに、一日の支出を500バーツ以内に抑えながら、南国でのバカンスを楽しんでいる僕にとって、4,000バーツはかなりの大金だ。

 

淡い色のチェックのシャツを着た兄ちゃんは、財布の中から一枚のカードを抜き出して、僕のほうにホレと差し出してきた。月明かりの中、目を凝らしながらカードを手にとって眺めてみたが、残念ながらそのカードはすべてがタイ語で書かれていたため、ハッキリ言って何のカードだかさっぱり分からなかった。カードの中で、確かにその兄ちゃんが警官っぽい格好をして写真に写ってはいたのだが、何せここはタイだ。お金さえ出せば、それらしいカードを作ることなんてお茶の子さいさいだろう。(実際に、カオサン通りでは、その類の店がいくつかあった。)僕は、まったくその兄ちゃんを信用することができなかった。

 

 

 

 

そんなん本物かどうか分からんがなっ!!

 

 

 

と、僕は異常なまでの強気でカードを兄ちゃんに突き返した。ひるんだ隙に逃げてやろうかとも考えていたのだが、兄ちゃんはまったく隙を与えてくれず、携帯電話を取り出してどこかへ連絡を始めた。僕は何とも言えない気持ちでイライラと不安感を同時に募らせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくすると、そこへ白バイに乗った若い警察官が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は、僕をめちゃくちゃ睨みつけている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


何の疑いを挟む余地もなく、上から下まで完璧なまでに彼は警察官だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、それぞれに4,000バーツずつ、つまり計8,000バーツを払う羽目になってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 


翌日、僕は荷物をまとめて再びバンコクへ向かった。やたらと生地の硬いリュックサックが、背中に食い込んでとても痛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おわり